<特別投稿>今帰仁城跡や周辺の発掘、修復や管理をおこなう文化財係り。専門家の目がとらえた今帰仁城跡。

平郎門の修理工事(4)

平郎門の修理工事については、これまで紹介したように建造物に詳しい山里銀造の手による設計により計画され、今泊出身で文化財保護委員当時城跡研究者として著名な新城徳祐が関わり設計と管理が行われていたことが分かります。

現場の代理人は幾一組の上間幾一で、地元の人々によって施工されたこともうかがうことができます。

さて、私は過去に上間さんから実際に当時の話をお聞きしたことがあります。現場を実際に監督していた上間さんの話によると、当時城門の修理工事をしている際、門の根石が確認されたので、これに沿って計画変更したというのです。このため既に建築済であった参道(旧来の鳥居のあったところから大庭までの道)は一直線になっていましたが、平郎門のところで、発見された既存の門の根石と、参道との間にズレがあったため、既存の門の根石部分に合わせる形で計画を変更をしたというのです。

実際に現在の平郎門をよく見てみると、平郎門に向かうと左側に門がズレていて、参道は手前から奥の方にむかってまっすぐつくられていることがわかります。

上間さんの証言した、現場指導の内容についての詳細は不明ですが、新城徳祐の手帳には以下のように記されています。

「2月22日北山城門基礎検査、山里、又吉と3人」

さらに、沖縄県教育庁文化課が保管している写真の中に、階段と門部分と推測される根石の近景写真があって、これが検査時の写真ではないかと推測されるものがあります。

つまり、城門修理工事を進める中、実際の門根石部分と思われる物が見つかり、これにあわせて城門を当初計画していたとおりの場所にではなく、計画を変更して既存の門の根石に合わせる形で施工したというのです。

門の意匠については、確かに多少創作的なところもあって現在の研究成果などを鑑みると、実際に往時あった門の姿とは異なると考えられています。しかし、門の位置などの検証などについては、当時の研究水準などから様々な検討が行われていたことを知ることができます。

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