<特別投稿>今帰仁城跡や周辺の発掘、修復や管理をおこなう文化財係り。専門家の目がとらえた今帰仁城跡。

平郎門の修理工事(5)

さて、平朗門の狭間について考えてみたいと思います。
ご質問いただきました、「大隅の城壁にハザマはなかったのか?」ということですが、先ず狭間について考えてみたいと思います。なお、ご質問の平成の修理については、また追い追い返信させていただきますので、ご了承下さい。

日本本州の城、特に天守閣のある近世城郭では狭間(さま)と呼ばれる城壁の壁面に穿たれた穴があります。小間(さま)、矢間(さま)などと書かれることもあります。
いろいろな形や分類がありますが、弓用の狭間を弓狭間(ゆみざま)、鉄砲のものは鉄砲狭間(てっぽうざま)と呼びます。

さて、今帰仁城跡に現在確認することのできる平朗門の狭間については恐らく現場にも残っていなかったものと推定されます。その証拠として、一つは先に示した山里作図の設計図の立面図に、着色した部分がありこれが、およそ復元箇所に該当するものであると思われることから全て復元であることがあげられます(拡大図、筆者着色部分が復元)。また古写真などを見ても同じ位置に狭間が存在していたと考えるにはかなり無理があると考えられるからです。つまり、平朗門の狭間は山里の設計によって、現在に伝えられた創作物であると言って良いと考えられます。

平郎門.jpg

 

それでは、狭間は沖縄のグスクにまったく採用された事のない、荒唐無稽な防御攻撃施設なのでしょうか。単純にそう言うこともできません。
中城城跡の南側に配置される門に向かって右手には狭間と思われる穴が城壁に造られています。他にも安慶名グスクや古写真ではありますが屋良座森グスクなどにも見ることができます。今帰仁城跡には、現地に残された遺構から狭間を確証できるものはありません。大隅の城壁もその上部については修理されたところがほとんどで、痕跡としても残っていなかったと考えられます。現状では恐らく狭間があったとは考えにくいでしょう。

ちなみに、沖縄のグスクに現存する狭間の多くは恐らくは矢狭間と考えられますが、その一方で狭間を銃丸として利用したとされる研究も報告されています。火矢と呼ばれるハンドキャノンで敵を撃墜したというのです。上里隆史さんのご研究がありますので、ご参考までに下記にアクセスしてみてはいかがでしょうか?
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/tora/2005/05/post_043b.html

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