<特別投稿>今帰仁城跡や周辺の発掘、修復や管理をおこなう文化財係り。専門家の目がとらえた今帰仁城跡。

平郎門の修理工事(9)

1961年12月から1962年4月までに平郎門の門部分修理が行われたことについては、これまで紹介してきたとおりです。

さてその次に撮影された写真は、翌年1963年3月と記されている県文化課保管の写真があります。既に門及び周辺の修理工事が完了していますので、かなり大雑把ですが1962年4月から1963年3月の間に工事が完了したことは間違いありません。

しかし新城徳祐氏の手帳にはその間の北山調査などは散見的となっています。おそらく、先に紹介した門眉石の設置である1962年4月から間もなく工事は完了し、次期工事着手に向けて翌年3月頃以降再び今帰仁城跡へ訪れたと言うところが事実ではないかと考えられます。

そのあたりは、今後資料を掘り起こせばきっと見つかるのではないかと考えています。

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その可能性として一つ。

平郎門修理工事の一連の写真の最後に、下の写真を紹介します。この写真は新城徳祐氏ご所蔵の写真で今帰仁村歴史文化センターに寄贈されたものです。氏の手帳には1962年4月27日のところに

「北山城門観光施設場所選定及び城門復元工事検査」と記されています。

平郎門の上で撮影したものですが、大隅側の城壁への取り付き状況などから、この4月27日の検査時の写真ではないかと推定されます。ただ、細かく観察してみると平郎門の胸壁部分が低いこと、門の東側の取り付き部分がまだ未完成のように見えることなどから、仮に4月27日の写真だとすると、この時点ではまだ工事が未完成であることがわかります。しかし、ここからそう時間をかけて整備したとは考えにくいことからこの写真から間もなく、この平郎門の工事は完了したものと考えて差し支えないでしょう。

上記のとおり、幾つか課題はありますが、琉球政府時代に実施された平郎門の修理工事については、暫定的に1961年12月の起工式にはじまり、1962年の中旬にはほぼ完了していたと思われます。半年程度の工事をわずかと感じるか、大工事と思われるかは個人差があると思いますが、こうして琉球政府による門の修理工事が行われたと考えられます。

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