<特別投稿>今帰仁城跡や周辺の発掘、修復や管理をおこなう文化財係り。専門家の目がとらえた今帰仁城跡。

掘り出されたお金

今帰仁村歴史文化センターの展示ケースには今帰仁城跡から出土した様々な品物が展示されています。

その中に昔のお金が展示されています。

このお金からどんなことが解るだろうか?

さて、現代日本のお金といえば、言うまでもなく、「円」を単位とする千円札や百円玉といった、紙幣や硬貨があります。しかし実際の市場では、スーパーのレジに「一ドル=100円」の掲示あったりします。沖縄はなぜか日本なのに、街ではドルが通用している現実があります。そこにはドルを使う客を受け入れる、街の様子を見ることができるのです。

図1.JPG

※そもそもそれが慣例にはなっていますが・・・沖縄県外ではほとんど観られないと思います。


 では遡って琉球の時代、グスクが城として現役だった頃(今から五百年前頃)、どのようなお金が遣われ、市場はどんな様子だったのでしょうか。
 県内の城跡や集落跡の発掘で出土した銭は、約1万4千枚を数えます。当時のお金は主に銅で作られ、大きさは今の百円玉くらいです。円形で真ん中には四角の孔が開いています。

出土した銭は、

?ほとんどが中国で鋳造された銭であります。

?銭の大きさには大小があります。

?銭の中には文字のあるものと、無いものがあります。

 

 同じ頃の日本は、おおよそ戦国時代ですが、この頃民衆が使ったお金も、やはり中国で鋳造された銭でした。しかし銭の大きさに大小は無く、2.3センチメートルとサイズは決まっていました。中国では大小の銭を鋳造しているにもかかわらず、日本では決まった大きさの銭だけを選んで使うルールがあったのです。つまり?における日本と沖縄の相違点は、琉球の銭遣いが日本とは異なる独自のものであったことを明らかにしています。

 では、?の特徴から何が分かるのでしょうか?

そもそも当時のお金は、国が発行した公鋳銭の他にも、商人達が勝手に鋳造した私鋳銭が含まれています。今風に言えばニセ金ですが、私鋳銭の中には、通常あるはずの文字が無いものも作られていました。銭に名前などの文字が無い銭を「無文銭」と呼んびます。それが、琉球に運ばれ流通し、遺跡から出土するのです。
 ユニークなのは、琉球では一七世紀になり、その無文銭を「鳩目銭」として自国で鋳造をはじめます。そして自国の基準貨として用いたのです。
 その琉球の銭も、廃藩置県とともに、今の円にかわり、今では博物館などでしか見ることはできません。

しかし、ウチカビと呼ばれるあの世のお金のデザインは、今も鳩目銭のままです。そこには、今も琉球の文化が息づいている。のかもしれません。


 

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