<特別投稿>今帰仁城跡や周辺の発掘、修復や管理をおこなう文化財係り。専門家の目がとらえた今帰仁城跡。

海から拾った陶磁器(1)

先日福岡へ行ってきました。

日本と韓国の合同研究会で、アジア水中考古学研究所が主催者となって開催されたものです。

http://www.ariua.org/news/news20100805/

さて、報告したのは海底遺跡の話です。

 沖縄で海底遺跡と言えばもっぱら与那国島がブームですが、よく発掘や考古学を仕事にしているというと、親戚や知人が集まる席で、よくその話題になることがります。「あれは遺跡か」と訪ねられと、

遺跡である可能性は低いことをきっぱりと伝えます。

決まって向こうから「あれは遺跡だ」と押し切られます。

席上で、いつも紹介するのが、私の知る海底遺跡の話です。

実は沖縄の海にも立派な海底遺跡があるのですが、こちらは以外と知られていないのです。

 今帰仁城跡の立地する今泊の海岸にもしばしば陶磁器が拾われることがあります。最初に海から拾った陶磁器を届けてくれたのは地元今泊の中村渠さんでした。

そこで、気になりはじめ調査を始めたのがいまから10年ほど前。文化財を担当している仲間内ではじまったこの調査は、現在も続いています。今年もいくつか調査する予定をしています。

遺跡といいましも、建造物が海に沈んでいるというものではありません。そのほとんどは、洋上で活動した歴史的な「落とし物」みたいなものです。
 海上活動の痕跡を示す遺跡の代表は沈没船です。

例えば古宇利島沖に沈む船でエモンズという沈没船があります。

 

写真4エモンズ1.jpg

 

これは沖縄戦で沈んだ米軍艦で、この海からの攻撃を生々しく語る戦争遺跡です。

 一方、船は見つかっていないが、何らかの理由によって積荷がこぼれた事例があるります。有名な事例として久米島の東に、はての浜と呼ばれる砂州があります。ここでは十二世紀頃に中国で焼かれた碗や皿を拾うことができます。この焼き物は、あたりを航行した船の積荷だったのだと考えられます。

 

 

 

No224.jpg

 

また、北谷町の安良波ビーチ沖にある、インディアン・オーク号の座礁地点があります。この船は1840年に座礁した船で、一帯には船を安定させるために船底に積んだ、バラストが散らばっています。
 前者は今から800年前頃、環東シナ海を往来した船舶の存在を証明してくれる遺跡で、後者はヨーロッパとアジアを結ぶ商船が沖縄近海を航行していたことを教えてくれているのです。

 遺跡とは歴史事実を語る生々しいものです。

ロマンを感じ、夢を見ることももちろん大切ではあります。しかし申し訳ありませんが、某海底遺跡は、遺跡ではなく、遺跡的な景観なのです。もちろんそんな景観も遺跡のように見える、景観資源として大切に保全し、活用することも大事だと思います。

 

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