<特別投稿>今帰仁城跡や周辺の発掘、修復や管理をおこなう文化財係り。専門家の目がとらえた今帰仁城跡。

世界遺産登録10年(上)

世界文化遺産地域連携会議なるものが発足されたということ、いろいろ報道にて発信されています。有意義な会議になることを何より期待しています。

さて、世界遺産登録10年の節目にと、新聞に依頼されて執筆した文章を基に、ここで紹介し隊と思います。近々モニタリングといって、世界遺産登録された遺産が、その価値を滅失することなくきちんと管理保存されているか、国際的なチェックが入ります。

登録から10年で今帰仁城跡とその周辺はだいぶ様変わりしています。審査官にとってどのような印象を持つのか心配なところも半分くらいはあります。

 

 

県民ぐるみの保存と活用

世界の公用語となった「グスク」
 「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産登録されたのは、2000年12月。あれから10年が経過した。今改めてなぜ「琉球王国のグスク?」が世界遺産に登録されたのか、そしてこの10年沖縄の世界遺産を取り巻く環境はどう変わったのかについて考えてみたい。
世界遺産登録の理由 世界遺産は、正式には「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(Convention Concerning the Protection of the World Cultural and Natural Heritage)という。世界中の顕著で普遍的な価値のある文化遺産・自然遺産を人類共通の「宝」として守り、次世代に伝えていくことの大切さを唱える国際条約である。
 そもそも、その世界遺産に、なぜ沖縄の「琉球王国のグスク-」が登録されたのであろうか。登録時発表された理由は、次のように要約されている。

(1)琉球諸島が東アジア海域において文化的交流の中心として貢献してきた。このことが残された遺跡によって示されている。

(2)琉球王国の文化は、特別の政治的・経済的環境下で発展し、その文化に比類のない特質をもたらした。

(3)琉球の聖域群は、近代においてもなお損なわれず、自然と祖先崇拝の固有の形態を示す例外的な事例を構成している。

世界と交わした約束 

 なんだか難しい言葉が並ぶが、つまるところ(1)(2)(3)の顕著で普遍的な価値が認められるため、人類共通の宝として沖縄の「琉球王国のグスク?」を世界遺産リストに掲載し、次世代に伝えていくことを、10年前に世界に約束したわけである。ここで重要なことは、あくまでも国際条約であり、守ることを「約束」したという点に注意を払うべきである。


公用語となったグスク

 登録前より日本の宝であった「琉球王国のグスク-」だが、世界遺産リストに記載されたことで、特筆すべきもう一つの意義がある。世界遺産登録に際しては、自国、地元の文化が尊重されることから、その名称にも地元呼称が用いられていることが通例となっている。例えば、オーストラリアにある「エアーズロック」は欧米の探検家が付けた名称である。地元アボリジニの重要な聖地として、彼らの言葉で地球のヘソを意味する「ウルル」と呼ばれている。このため、世界遺産の名称はアボリジニの呼称を尊重し「ウルル-カタ・ジュタ国立公園」となっている。この点で沖縄の世界遺産である「グスク」も、登録名称が「琉球王国のグスク?」であったことは大きな意味をもつ。
 しばしば「グスク」は城か聖地か集落かという議論が交わされる。1960年代にはグスク論争として熱い議論が交わされた。しかし、そもそも「グスク」は、地元呼称の「グスク」という概念で説明されるものである。この点では、世界遺産の登録を機に国際用語として「グスク」が広く知られたことの意義は大きい。


グスクの魅力

 グスクの魅力は一言では語ることはできない。グスクやその関連遺産が持つ石垣や景観が持つ魅力。地下に埋蔵された遺構や遺物が教える歴史のダイナミズム。今も島々の人々によって続く祈りや聖地としての空間的魅力。どれも顕著で普遍的な価値を伝えるものである。登録前に整備が完了した幾つかの資産を除き、多くの登録資産は現在も保存修理事業が行われている。例えば首里城跡は、書院、鎖之間が木造建物で復元されている。往時の国王の執務空間であるが、庭園が一望でき「首里城書院(しょいん)・鎖之間(さのま)庭園」として平成21年に国指定の名勝に登録されている。今帰仁城跡では、城外にある集落遺跡、出城跡、古道などの調査が行われ、これらの周辺遺跡についても国史跡として追加指定を行っている。世界遺産登録後も、各地で調査が進められ、戦災で失われた建物や景観の復元、指定や保全の取り組みが今も続けられている。

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