<特別投稿>今帰仁城跡や周辺の発掘、修復や管理をおこなう文化財係り。専門家の目がとらえた今帰仁城跡。

日本列島最南端の一括出土銭について

徳之島天城町松原西区の一括出土銭

 先日徳之島を訪れる機会を得た。そこで、大変貴重な資料を見せていただくことができたので、少し紹介してみたい。昭和45年の郷土史研究会会報において徳之島の天城町のある山から、6215枚の銭が出土したことが報告されている。
 現在、この資料は大部分が散逸したものの、発見者のご子息のご厚意によって徳之島天城町のユイの館(町資料館)に寄贈され保管されている。その点数は千枚超である。残念ながら出土時のおよそ2割しか残っていないが、保管されている資料は一括出土銭として貴重な事例と見られるため一つ一つ銭の名前を読み、確認作業を行った。


 会報の報告によれば200個ほどの銭を調べた結果、文字が判読できたものが23種とされ、このうち開元通宝を最古銭として、皇宋元宝、治平通宝、治平元宝、元豊通宝、政和通宝など17種が写真入りで紹介されている。今回確認できた銭名は26種。会報に報告された銭名と、今回確認できた銭名に多少の追加や不足があるものの、大きな変更は無い。
 会報に記載された記録から見ると、最新銭は宣徳通宝(初鋳年1425年)であるが、今回の調査では永楽通宝(初鋳年1408年)が最新銭であった。調査初期の報告を信用するのならば、当該資料は15世紀前半頃までに鋳造された銭で構成されていることになる。このことから、この銭はおそらく15世紀のある時期に徳之島の地で蓄財を土中に埋めた人が居て、およそ500年後私がこれを調べたという事になる。
 さて、今回確認した銭の特徴の一つとして全体の大半を占めていたのが無文銭である。無文銭とは市中で鋳造された銭で、今風に言えばニセ金になるが、さにあらず、日本の中世においては市中では中国から輸入された本銭と一緒に無文や磨滅したり劣化した銭が出回っていた事が知られている。外縁や銭名文字の凹凸も無い資料を総じて無文銭とすると全体のおよそ9割以上が銭銘の読めない資料で、銭銘の読める資料もほとんどが磨滅し判読困難なものばかりであった。少々乱暴ないい方だが、つまるところ全て鐚銭(びたせん)ということになるだろう。
 収蔵資料の資料的価値は今後もっと調べなければならないが、なんといっても琉球列島における出土銭貨として恐らく初めての例になるという点で大変貴重な事例といえる。それらしき資料として沖縄の久米村での事例があるが、それでも(散逸したとされるが)100枚にも満たなかったものと推察される。本州ではこのような一括出土銭(備蓄銭)は結構多い。その枚数も万を数える物さえある。今回紹介する天城町の資料は、正に千枚余り(会報報告は6千余枚)と、その量はいわゆる中世の日本列島で出土する一括銭の出土枚数と近似する、日本列島の最も南で確認できる一括出土銭ということができるだろう。

しかし、それにしても、銭を埋めて人はさぞかし悔しかったことだろう。これだけの貯金を忘れてしまったのだから。

R0014648.JPG

ブログ記事一覧