今帰仁グスクの100分の1模型
今帰仁グスクの1/100模型


今帰仁グスクは13世紀末に按司(あじ)が築城を開始、15世紀初頭に現在の形が完成。琉球3大勢力のひとつ北山王の居城でした。後に首里王府の管理下に入り、監守(かんしゅ)が派遣され17世紀初頭まで城として機能していました。

2000年に世界遺産に登録、日本百名城にも選ばれました。城壁の美しさと海の眺めが印象的です。

今帰仁グスクを学ぶ会のガイドが、無料で城内をご案内しています。


外郭城壁外郭全体は非常に広く、低めの城壁で囲まれています。東側の城壁はほぼ昔のまま残っています。西側は復元された城壁が見えます。

帰仁城に仕える家臣団が住んでいたと考えられています。中国陶磁器や住居跡が発屈されています。

外郭内には、祭祀に使われる船をかたどった「レコーラウーニー」や、現在も多くの参拝者の訪れる拝所「古宇利殿内(ふいどぅんち)」があります。

heiroumon.jpg平郎門は今帰仁城の正門です。昭和37年に修復され、現在の形になっています。
門は狭く、やや窪んだ位置に造られているため、攻めにくい構造になっていることがうかがえます。
両側に2つずつ開いている狭間は、門番が外を見張るための、のぞき窓になっています。

七五三の階段(参道)
平郎門をくぐると、石畳のまっすぐな道が通っています。これが、七五三の階段とよばれる参道です。

戦国時代のグスクにしては、この道はきれい過ぎます。昭和34年、当時の琉球政府文化財保護委員会が新設したものです。

見学のお客様や今帰仁上り(なきじん詣で)の人々には、便利でありがたい道となりました。

osumi.jpg平郎門を入ると、すぐ左手に大隅の入り口があります。大隅から馬の骨や歯が大量に発見されたので、戦いに備えて馬を訓練していたと考えられます。
大隅の郭は岩盤が露出していて趣があります。大隅中央に開口する自然の洞窟は、非常時の抜け道に使われ、志慶真川の崖の中腹に出られるといわれています。

カーザフは水のある谷の意で昔は水があったかもしれない。

カーザフとは「水のある谷」を意味します。昔は水があったかもしれません。
平郎門を入り、すぐ右側の階段を登ると見ることができます。自然の険しい谷間を巧みに取り込みながら、城壁を廻らせています。

今帰仁城には堀はありませんが、このカーザフが天然の堀といえます。非常に深いので、ここに敵が入り込んだら最後、上から矢や石が雨のように降ってくるでしょう。守る側にとって有利な構造ができています。

kyudo.jpg旧道は今帰仁城が機能していたとき、利用された道です。岩盤のすき間を利用した道は、石が敷かれていますが、登りにくいです。

万一敵兵が入り込んでも、容易に上まで駆け上がれないように工夫しているのです。天然の道は意外に風情があります。

山北王や城内の人々が、上り下りしたこの道を上って見ましょう。道の歩き心地を体験できます。ただし、足元にはくれぐれもお気をつけくださいませ。

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大庭(ウーミャー)は祭祀の広場です。首里城に御庭(ウナー)があるのと似ています。

琉球王国は、王の治める王権政治ですが、その王権をさらに確固たるものにしたのが祭祀(宗教的儀式)でした。その儀式が現代沖縄にも引き継がれてきました。

残念ながら、今帰仁ノロは高齢になり、神人(カミンチュ)もいなくなったので、大庭での祭祀を今は見ることができません。

ここでは、祭祀に使われた香炉や拝所、御嶽(ウタキ)をご紹介しています。

hinokami.jpg主郭は日本の城郭の本丸にあたる部分ですが、天守閣はありません。標高100メートルで今帰仁グスクの最上部です。
主郭は城主の住居があったところで、山北王と今帰仁監守の住居跡が確認できます。
西側にある案内板は、発掘された陶磁器を、北側にある地層の原寸大写真は、中国伝来の版築を見ることができます。
火の神、今帰仁城監守来歴碑記、石灯籠が、今帰仁監守の盛衰を物語っています。

outibara.jpg御内原は今帰仁城に仕える女官の住んでいたところです。海の見晴らしは絶景で、正面に伊是名島と伊平屋島が重なって見え、よく晴れた日には北の方角に与論島を見ることができます。写真は御内原からの眺め。

東側に石で囲まれた、テンチジアマチジの御嶽(うたき)があります。琉球国造りの神が天下る聖地で、祈願する人の姿が絶えません。

sigema.jpg志慶真門郭は主郭から見下ろす位置にあります。志慶真川に沿って城壁が築かれ、志慶真門(裏門)の跡が見えます。
側近の武士がいた4つの住居跡には炉跡があり、生活のようすが想像できます。武具に混じって「おはじき」が出土しているので、子供をふくめ家族単位で住んでいたのかもしれません。志慶真門は方言ではシジマジョウと読みます。

sigemagawa.jpg志慶真川は今帰仁グスクの東側を流れる谷川です。険しい谷に沿って、志慶真門郭(しじまじょうかく)の城壁が築かれています。下まで約80メートルもある断崖絶壁を見ると、難攻不落と恐れられたのもうなづけます。

城内で使う水は水揚げ場をつたって、志慶真川から汲み上げたといわれています。
昭和30年代まで志慶真川下流には水田がありました。城内から炭化米が発掘されているので、山北王の時代にはすでに米を食べていたと思われます。
深いため川面は見えませんが、雨降りの後は、谷を流れる水の音を聞くことができます。