周辺遺跡案内図

周辺遺跡とは、今帰仁城下に広がる約20ヘクタールの部分を指します。城下町である今帰仁ムラ跡と親泊ムラ跡、ハンタ道と呼ばれる登城道、祭祀施設などが点在しています。2009年に史跡に追加指定されました。

周辺遺跡は、ガイドがご案内するAコース。琉球時代そのままの遺跡が見学できるやさしいトレッキングコースです。所要時間は約2時間半。常時、予約を受け付け中です。
ご予約、お問い合わせは電話0980(56)4406へ。周辺遺跡の案内図はこちらから。(580KB)
eegaa.JPG親川は湧水です。琉球の時代から日照りでも枯れることなく、湧き出しています。かつては、飲み水、洗濯、子供の遊び場として利用されました。昭和30年代までは水田が広がり、灌漑用水になっていました。
カー拝みと呼ばれる、湧水を拝むことが今でも続いていて、拝むひとの姿が見られます。グスクに至るハンタ道の始点になります。

hantamiti.JPGハンタ道は今帰仁グスクに至る登城道でした。こんにちまで密林に覆われてていたため、琉球時代のようすを留めたまま保存されていました。
道は険しいところもありますが、岩盤を割って階段状にするなど、くふうした跡が見られ、琉球の人々の知恵がしのばれます。距離は親川(エーガー)を起点に、今帰仁グスクまで700メートルです。

nagarena.JPGナガレ庭は、2007年に古地図の調査によって発見されました。広い部分に3段の石積みがあり、祭祀施設と考えられます。
琉球国由来記に「ナガレナー」と記述があり、祭祀の順序から見て、位置がほぼ該当することからナガレ庭と呼んでいますが、まだ確定はされていません。

oyadomarimura.JPG親泊ムラは今帰仁ムラとともに、今帰仁城下にあったムラの一つ。
今帰仁グスクを支えたムラ人が住んでいました。ムラ跡の境界などは、はっきりとは見えませんが、平らな場所が造られていたり、石積みが確認できます。
1609年の薩摩侵攻の後、現在の今泊集落にムラ移動しました。

mimungusuku.JPGミームングスクは物見台または出城と言われています。18メートル×19メートルの大きな石積みです。 ハンタ道沿いにあり、しかも志慶真川に張り出した丘陵に造られています。 海も陸地もよく見え、今帰仁グスクの志慶真門郭も見通せる場所にあるため、物見台として最適な場所と思われます。

sigemagawa.JPG志慶真川はハンタ道の東側を流れる谷川です。その急な崖からハンタ道の名前が付きました。谷底までおよそ80メートルの断崖絶壁で、今帰仁グスクが難攻不落といわれたことがよくわかります。
川の水は伏流水となって地下を流れます。一部は親川(エーガー)に湧き出るといわれています。

とものかねノロどぅんちひぬかんのほこら

tomonokanehinukan.JPG供のかねノロは、今帰仁ノロのお供を務めたノロです。
祠には香炉が1つ置かれています。周囲は平坦地になっていて屋敷地だったことがわかります。小道を進めば今帰仁ノロ火の神の祠へ通じています。
薩摩軍襲来の後、他のノロと共に現在の今泊集落に移転しました。
「殿内(どぅんち)」とは位の高い人またはその屋敷を指します。「火の神」はひぬかんと呼ばれます。

なきじんノロどぅんちひぬかんのほこら

nakijinnoroninukan.JPG今帰仁ノロは今帰仁ムラ、親泊ムラ、志慶真ムラの祭祀を司ったノロです。
祠の中には、香炉が3つ置かれています。祠の周りは平らになっていて、屋敷地であることがわかります。
現在も、仲尾次家が今帰仁ノロを継承していて、今泊集落にノロ殿内があります。1609年の薩摩侵攻の後、現在の場所に移転したようです。

(あおりやえノロどぅんちひぬかんのほこら)

aoriyaehinukan.JPG阿応理屋恵ノロは国頭地方を統括する神職です。祠は土壁が残っていて他のノロの火の神の祠に比べ立派な造りで、位の高いことがうかがえます。
薩摩軍の侵攻後、今帰仁監守と共に1665年、首里に引き揚げました。

IMG_1209.JPGサカンケーとは「逆迎え」や「酒迎え」と解されています。
クバの御嶽で祈願するとき、山に登れない人はここで待っていて、祈願を終えた一行を迎え、神に別れの祈りをしたとされています。また、共にご馳走を広げ、飲食したので酒迎えというのでしょう。
現在はクバの御嶽に行かずここで祈願をする人が多いので、遥拝所として利用され通称「お通し」と呼ばれています。

basyamiti.JPG大正時代に造られた道を馬車道と呼んでいます。ハンタ道に代わって利用され、今帰仁グスクへ登るのに楽になったことでしょう。
現在は慰霊塔からグスクまでの道が残っています。地元の農家の人が畑に行くのに利用していますが、路面は荒れています。

uunii.JPGアタイ原は地名で、ウーニーとは御舟のこと。凹みのある自然石が置かれています。この凹みを舟に見立てて、航海安全祈願をおこなった場所です。
今帰仁グスク外郭には、土盛りしたレコーラウーニーがあり、ここでは舟こぎの所作をして、航海安全を祈願しました。

sinigunni.JPGシニグンニは正方形と円形の石積みが並んでいます。正方形の石積みは2段に積まれ、階段が付いており、石積みの上部には凹みがあります。
今泊誌には、トントトトン祭りに使われたと記されていますが、詳しいことは不明です。

nakijinmuraato.JPG今帰仁ムラは、今帰仁城下すぐ近くにあったムラです。親泊ムラとならんで今帰仁グスクを支えたムラ人が住んでいました。ムラ跡には、屋敷囲いの石垣が残されています。
1609年の薩摩侵攻の後、現在の今泊集落にムラ移動しました。今泊は今帰仁の「今」と親泊の「泊」をとって名づけられました。