ハンタ道は今帰仁グスクに至る登城道で、2009年、史跡に指定されました。

琉球の時代からほとんど変わらずに、ジャングルに埋もれて保存されてきた道です。
このブログでは、四季折々に変化する植物の香りや木々の落ち葉、動植物など、ハンタ道の姿や今泊集落の史跡などをお伝えします。

今帰仁グスクを学ぶ会のガイドがご案内するコースに設定されています。


ハンタ道のホルトノキとセンダン

久しぶりにハンタ道を上って、今帰仁グスクへ登城しました。ハンタ道は夏草が茂り、少し歩きにくいですが、クロツグとパパイアの実を見つけました。


クロツグの実
クロツグの実。ヤシの仲間です。


パパイア
パパイアがこうして生えて実るのはよくあること。鳥がフンと一緒に落とした種が生えたのでしょう。

夏草が茂るのは、昨年の台風で木々の枝が折れて、太陽がよく入るようになったためだと思われます。

ハンタ道のクワズイモ
クワズイモもかなり大きくなっています。以前のように少し薄暗い森に戻るには、もうしばらくの時が必要なのでしょう。


エーガーでカーウガミする人々
帰り道、エーガー(親川)で拝みをする数人の人が見られました。カーウガミ(カー拝み)といって水辺で祈願するのはよくあることですが、このエーガーは琉球時代から水の涸れることのない貴重な湧き水。古来から清めや拝みがおこなわれてきた場所です。(この画像の撮影は2009年7月)

小学校6年生のハンタ道の調査(引用)

ハンタ道1

小学校6年生がハンタ道について学んでまとめた記事を引用します。とてもよくまとまっていると思います。兼次小学校は今帰仁グスクに近い地元の小学校です。

以下に全文を引用させていただきます。歴史文化センターホームページより。


私たちは(兼次小6年)、今帰仁グスクの歴史について学んでいます。北山王が今帰仁グスクを居城としていた600?700年前の時代を歩いて確認していきます。今帰仁グスクへあがるには、ハンタ道を利用していました。ハンタ道への入り口にエーガー(親川)があります。きっとグスクにのぼる前に手足を洗い清めて登っていったのでしょう。今でもムラ(字)や今帰仁上りで中南部からも拝みにやってきます。

 ハンタ道は大正5年までグスクにのぼる主要道路でした。まだ車のない時代でした。途中、石畳道や階段状、坂道あり平坦道ありです。途中にミームングスク(見物城)があります。きっと、見張り役がいて監視した場所かもしれません。1609年の島津の軍隊も、ハンタ道をかけのぼり今帰仁グスクを焼き討ちにしたのでしょう。

 このハンタ道ですが、ミームングスクにあがるとよくわかります。ハンタは崖の端のことです。ミームングスクの方を眺めると志慶真川があり、そこが崖となっています。一帯はハンタ原と地名がついています。このハンタ道は、崖のあるハンタ原を通ることに因んだ名称です。ハンタ道は今帰仁グスクへの主要道路であり、グスク内から発掘された膨大な遺物(陶磁器などの遺物)もハンタ道を通り運ばれたのでしょう。ハンタ道は今帰仁グスクの歴史を刻んだ道でもあります。

 ハンタ道をのぼりきると、大正5年に開通した道と合流します。一帯は集落跡でトゥムヌハーニ火神、アオリヤエノロドゥンチ火神、今帰仁ノロドゥンチ火神の拝所があります。火神の祠があるところは、かつてノロなどの住居跡だとわかります。今から400年前くらいに、そこから集落は麓に移動しています。拝所から旧家の跡や家々(集落Iがあったことがわかります。


エーガーグスクへ上る前に手足を清めたエーガー



ミームングスク
ミームングスクは物見台で見張り役がいた場所かも


ノロ殿内跡
ノロ殿内跡にはノロドゥンチ火の神の祠が立っている



ハンタ道の芳香の正体はクロツグ

クロツグ1
IMG_3653-420.jpg
ハンタ道を歩くと5月ごろには、とても良いにおいがします。この芳香の正体は、クロツグです。クロツグの花が芳香を放ち、蜂が集まってきます。

クロツグはヤシの仲間ですが、あまり高くはならず、幹も太くはなりません。沖縄北部、やんばるの森にもともと生え育っている植物です。

しかも、琉球の時代から途切れることなく生えてきた植物なのです。近代化した沖縄に住んでいても、クロツグを見ると古い時代へ思いをはせることができる、そんな植物なのです。

クロツグは今帰仁城跡周辺に数多く自生していますが、ハンタ道を歩くときには点在しているため、足を休めて観賞するのがおすすめです。

鍛冶屋の守り神(1
今泊集落にある鍛冶屋(カンジャヤー)には、関帝王(写真右)と鍛冶神(写真左)の絵が掛けられています。

鍛冶屋(カンジャヤー)は、鍛冶をおこなうことを家業としていた家で、鍛冶屋の守り神を信仰していて、その守り神が絵として祀ってあります。

鍛冶屋の守り神(2
画像がやや不鮮明ですが、女神のようなものが上に立ち、左の女性がフイゴを押し、3匹の鬼が鉄を打っているようすが描かれています。



鍛冶屋の守り神(3
鍛冶屋(カンジャヤー)のもう一つの掛け軸は、関帝王(カンテイオウ)の絵です。関帝王とは、中国の三国時代の武将のひとりで、このような絵が琉球に普及したのは冊封使が1691年に来流してからと言われています。

もともとは、王族や首里、那覇の士族の間に広まったようです。やがて、一般民衆の間にも浸透していったものが、今泊集落の鍛冶屋にも掛け軸として掲げられているのです。

長槍を持ったいかにも強そうな武将が描かれていますが、厄除け、守り神、商売の神などとして珍重され信仰されたようです。


御嶽(ウタキ)や火の神が信仰の対象だと思っていましたが、このような絵が神々の座をしめていたとは、民間信仰の点から興味深いものがあります。


ノロの後継者をめぐる紛争があった

今帰仁ノロ
写真は今帰仁ノロ(2009年頃、今帰仁グスク平郎門前にて撮影)


ノロについてご紹介すると、お客様の中には霊力のすぐれたひとがノロになるのかな?と思われる方がおられるようです。

しかし、ノロは首里王府が任命する神役であり、辞令書が交付されています。今風にいえば公務員だったわけです。

名護市には「真喜屋のろ難渋一件」という資料があります。これによると、1868年に死去した真喜屋ノロの後継をめぐり、真喜屋村と仲尾次村の間で、紛争が起こり羽地番所(今の役場)を巻き込んだ訴訟事件になりました。

その結果、翌年8月に両惣地頭家(今の村長)の裁決で、仲尾次村側から立てた後継者がノロとして任命されました。

(名護市広報市民のひろば1月号、市民だよりから一部転載させていただきました。

こうして、訴訟にまで発展したノロの後継者選び。ノロに就任することは、村にとっても名誉なことだし、ノロ家は首里王府から給与(米、麦など)やノロ専用の田畑が与えられる特権があります。

こうした特権をめぐる争いだったかもしれません。ノロも利害をめぐって争う、ふつうの人だったのでしょうか。


用語解説 公儀ノロ

ノロは首里王府時代、村落の祭祀主として農耕儀礼を司祭し、宗教的に村人を管理支配した女性神役。勾玉、神衣装、田畑なども与えられた。(名護市広報市民のひろば1月号、市民だよりから)




下の写真は今帰仁ノロ火の神の祠。今帰仁グスクが機能していた、おそらく1600年初め頃まで今帰仁ノロが住んでいた屋敷跡。

現在は祠の中に火の神が祀られ、拝所となっている。香炉が置かれ、塩が盛られているのが見える。以前は茅葺き屋根だったが、近年瓦に葺き替えられている。

ガイドしているのは岸本氏。城外ガイドAコース(ハンタ道コース)に含まれており、今帰仁グスクを学ぶ会が案内しています。(予約制、有料)

今帰仁ノロ火の神の祠

ハイビスリゾートオーナー日記
ハイビスリゾートのオーナーさんが、桜の季節ツアーを紹介してくださいました。ツアーの一般公募に先立ち、今帰仁村の関係者をご招待して、プレツアーがおこなわれたときの紹介記事です。

「桜の季節にガイドとめぐる今帰仁の史跡ツアー」はhttp://nakijingusuku.com/yoyaku/2011/12/yoyaku.htmlでご紹介しています。

ハイビスリゾートのブログ記事を見るには:http://hibisresort.ti-da.net/e4110472.html

宿泊するならホームページを:http://www.hibis-resort.com/

ハンタ道は明るい道に変わっていました

明るいハンタ道

ハンタ道を3日連続で歩きました。久しぶりのことで、足が思うように動きません。

ハンタ道は3度の台風で倒木もありましたが、今はきれいに片づけられていて歩くのに支障はありません。作業してくださった文化財係の皆様、ありがとうございます。

台風で木の枝や木の葉が少なくなって、ハンタ道は森の中の道ではなく、明るい山道に変わっていました。

明るいハンタ道2
クワズイモが繁茂しています。このイモは食べられません。


明るいハンタ道3
石畳の道も明るくなっています。


明るいハンタ道4
エーガー(親川)は、琉球の時代から尽きない水が湧き出している。地元今泊の人々がいつもきれいにしています。ハンタ道の起点であり、カー拝み(カーウガミ)をする聖地でもあります。

ハンタ道は台風で倒木も

台風後、ハンタ道を歩きました。強い台風だったため、倒木もありました。折れた枝や落ち葉が散乱していました。

お客さまのなかには、ハンタ道を歩いて登って来たかたもおられました。台風後はしばらく歩きにくいですが、自然の猛威を感じさせられるのも、また貴重な体験ではあります。

台風あとのハンタ道

今泊集落のフクギ並木もおすすめです

今泊集落にフクギ並木があるのは、以外に知られていません。映画の撮影でつかわれ、映画でご覧になった方もあるかと思いますが、今泊集落を散策した方はまだ少ないでしょう。

フクギ並木は本部町の備瀬が、ガイドブックで有名になっていますが、今帰仁城跡のすぐそばにもあるのです。今帰仁城跡見学のついでに、今泊集落もご覧になることをおすすめします。

今泊のフクギ
フクギ並木は集落全体ではありませんが、部分的にきれいに残っています。かつては、集落内はフクギにおおわれていたかもしれません。

今泊集落は、今帰仁城入り口バス停付近から海側、今帰仁城跡と反対側にはいれば、集落内にはいれます。案内板もありますから、ご参考に。


フクギはオトギリソウ科の常緑高木で、台風や火災に強く屋敷をまもるのに最適な樹木です。樹皮は黄色の染料がとれる有用樹です。

ためしに、フクギをフリー百科事典ウィキペディアで調べてみると、今帰仁城跡のフクギの写真が掲載されていました。城壁が見えるので、主郭にあるフクギのようです。ウィキペディア:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%AF%E3%82%AE 

物見台としてのミームングスク

ミームングスク は、ハンタ道を登りきったところにあります。
「ミームン」の解釈としては、「新しい」と「見る」のふたつの見解に分かれるようです。
今帰仁グスクに比べて新しく造られたから、新しいグスクの意味で「ミームングスク」だと考える方もいます。

ミームングスク
ミームングスクから志慶真門郭を望むいずれの解釈を採るにしても、ミームングスクの果たした機能を考えるとき、「物見台」と考えるのが一番納得できるような気がします。

なにより、志慶真門郭の一部が見え、合図が届くほどの距離にあること。内陸部の道の様子がよく見えること。などの立地条件がよいからです。

14世紀、北山王の家来の武士たちが、ここに詰めて見張りをし、他の武士たちは志慶真門郭の城壁の上にいて、互いに合図を送っていた。という姿を想像したくなるのです。

左の写真は、ミームングスクから 志慶真門郭 を見たところ。

2010-07-06の記事を一部修正して再投稿2012-07-30
 

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