2011年2月の記事一覧

今泊集落のハサギンクヮー

今泊集落には2つのハサギがあります。フプハサギとハサギンクヮーです。 ハサギンクヮーは旧今帰仁ムラにあります。ハサギンクヮーとは、「小さいハサギ」の意味です。旧親泊ムラのフプハサギが「大きいハサギ」の意味で、この両者は対のようになっています。

写真のように、ハサギンクヮーのある広場は公園になっています。中央の4本柱のものがハサギンクヮー。

ハサギンクヮー、旧今帰仁ムラにある

かつては、フプハサギは親泊ムラのもの、ハサギンクヮーは今帰仁ムラのものでした。その後、二つのムラは合併し、現在の今泊ムラになります。ところが、ハサギは合併せず、こんにちまで二つとも存在しています。集落は合併しても、祭祀は一つにならないのです。

今帰仁ムラと親泊ムラは、かつて今帰仁城下にあり城下町としての役割をはたしてきました。現在の海沿いの場所に移動したのは、1609年の薩摩軍による琉球侵攻で、今帰仁城が焼き討ちにされたことがきっかけとなったとされています。

ハサギンクヮーでの祭祀は、旧盆明けの子の日(旧暦8月11日)に行なわれる、シマウイミと、プトゥチウガン(新暦12月24日)の年2回で、今帰仁ノロの管轄です。

関連記事:フプハサギ

参考:山原の神アサギ(今帰仁村歴史文化センター)

フプハサギ

フプハサギとは、大きいハサギ、あるいは主なるハサギという意味です。
今泊公民館前にあるこのハサギが、フプハサギです。旧親泊ムラに属するハサギで、元々は親泊集落の人々が祭祀をおこなったところです。

現在は親泊ムラと今帰仁ムラは合併し、今泊集落になっています。ムラは合併しても、ハサギは別々であり、旧今帰仁ムラのハサギは他のところにあります。

フプはさぎ
祭祀は今帰仁ノロの管轄で、シマウイミ(旧盆明けの子の日、旧暦8月11日)、プトゥチウガン(新暦12月24日)におこなわれます。

ハサギの歴史は古く琉球の時代にさかのぼります。「琉球国由来記」(1713年)にはハサギのことが記載されています。明治36年以前に創設されたムラでは、ハサギを設け神人を置いて、祭祀をおこなわなければならないように制度化されていたようです。
現在はもちろん制度化されていませんが、今でもハサギでの祭祀は続けられています。

注:ハサギは地域によってアサギといわれる。
造りは、かつては茅葺き屋根、現在はコンクリート製の柱が4本立つ。

参考:山原の神アサギ今帰仁村歴史文化センター

志慶真乙樽の墓

志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の墓は志慶真川の下流にあります。

志慶真乙樽は伝説の美女。今帰仁の城主に献身的に仕え、今帰仁御神(なきじんうかみ)と呼ばれるようになり、マクブやタマン(魚の名前)の見えるところに葬って欲しいと遺言したことから、海に近いところに墓を造ったといわれます。

志慶真乙樽の墓
今帰仁グスク内に、志慶真乙樽の歌碑を建てるほど、志慶真乙樽は今帰仁村の誇りです。

それにしても、伝説の人なのに、なぜ、墓があるのでしょう?
確かに、志慶真乙樽は伝説上の人物です。一方、神人(かみんちゅ)として志慶真乙樽職があり、今帰仁グスクの祭祀を司っていました。神人志慶真乙樽は実在していました。

いずれにしても、長い年月を経て、志慶真乙樽は今も人々の心に生き続けています。

開かん墓

今泊集落に「開かん墓」と呼ばれる墓があります。
墓の入り口がなく、塗り込められているので、この名があります。
正確には「津屋口墓」、方言読みで「ちぇーぐち墓」といいます。

開かん墓
葬られているのは、今帰仁監守3世の「和賢」(わけん)です。
今帰仁監守とは、首里王府から派遣された今帰仁城の管理人です。1世は首里の玉陵(たまうどぅん)に、2世と4世から7世までは運天港近くの大北墓(うーにしばか)に葬られています。

なぜ、3世だけが今泊の津屋口墓に葬られているのでしょう?しかも墓口は閉じられている。
おそらくは、伝染性の病気ではなかったか、と考えることができます。それにしても、ひとりだけムラはずれに葬られたとは、ちょっと悲しいお話ですね。


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