2011年7月の記事一覧

運天港を歩く:粟のかゆを流した坂

粟のかゆを流した?これは、敵が攻めてきたとき粟のかゆを流して敵を火傷させる戦術でしょうか?

確かに敵を撃退する戦術なのですが、これは呪術的な意味なのです。粟のかゆを大量に流しても、大勢の敵を火傷させることはむずかしいですね。ですから、呪術的な目的のためです。

おまじないではなく、これは本当に信じられていたことです。古琉球ではノロ(神女)も戦に加わって、相手を呪詛する(のろう)祈願をおこなったのです。
ノロは霊力(セジ)によって敵を攻撃するだけでなく、自軍を鼓舞する役割も果たしたようです。

歌謡集「おもろそうし」には、赤のよろいをまとい、刀を身につけた聞得大君が軍勢の先頭に立ち、「戦せじ(戦いの霊力)」を兵士たちに与える姿が謡われているという。(1531年のおもろそうし第一)


1609年、島津氏の薩摩軍3000人が運天港に上陸。今帰仁城跡は焼き討ちにされました。そのとき、この坂道、ウケメービラで粟のかゆを流して応戦したのです。(写真左の坂道)

粟のかゆを流した坂
参考:琉日戦争一六〇九 島津氏の琉球侵攻 上里隆史著

トウズルモドキの実

ハンタ道のトウズルモドキに実がついていました。(花の咲く時期があったはずですが、画像を見つけられませんでした。)
トウズルモドキはどこまでも長く延びて、木のてっぺんまで到達すると、今度は垂れ下がってくる、というふうに繁茂していきます。丈夫で切れにくいので、昔はサトウキビを結束するのに使ったそうです。八重山では、かごを編んだり工芸品としても利用されています。

トウズルモドキ
ひさしぶりにハンタ道を歩きました。お昼ごろ太陽はかなり暑いですが、ハンタ道は森の中でよく風がとおります。
歩き慣れればなんでもない道ですが、しばらく歩いていなかったせいで、登り始めは足が前に進みません。


ハンタ道は全長740mですが、勾配が急なところがあるためトレッキングコースとして楽しめます。もちろん慣れれば散歩道の感覚です。

下の写真は今日のハンタ道のようす。左のヤシのような葉はクロツグ。石畳の道は自然の岩盤を利用している部分。

ハンタ道のようす

過去の記事を読む

最近投稿された画像

  • 粟のかゆを流した坂
  • ハンタ道のようす
  • トウズルモドキ