小学校6年生のハンタ道の調査(引用)

ハンタ道1

小学校6年生がハンタ道について学んでまとめた記事を引用します。とてもよくまとまっていると思います。兼次小学校は今帰仁グスクに近い地元の小学校です。

以下に全文を引用させていただきます。歴史文化センターホームページより。


私たちは(兼次小6年)、今帰仁グスクの歴史について学んでいます。北山王が今帰仁グスクを居城としていた600?700年前の時代を歩いて確認していきます。今帰仁グスクへあがるには、ハンタ道を利用していました。ハンタ道への入り口にエーガー(親川)があります。きっとグスクにのぼる前に手足を洗い清めて登っていったのでしょう。今でもムラ(字)や今帰仁上りで中南部からも拝みにやってきます。

 ハンタ道は大正5年までグスクにのぼる主要道路でした。まだ車のない時代でした。途中、石畳道や階段状、坂道あり平坦道ありです。途中にミームングスク(見物城)があります。きっと、見張り役がいて監視した場所かもしれません。1609年の島津の軍隊も、ハンタ道をかけのぼり今帰仁グスクを焼き討ちにしたのでしょう。

 このハンタ道ですが、ミームングスクにあがるとよくわかります。ハンタは崖の端のことです。ミームングスクの方を眺めると志慶真川があり、そこが崖となっています。一帯はハンタ原と地名がついています。このハンタ道は、崖のあるハンタ原を通ることに因んだ名称です。ハンタ道は今帰仁グスクへの主要道路であり、グスク内から発掘された膨大な遺物(陶磁器などの遺物)もハンタ道を通り運ばれたのでしょう。ハンタ道は今帰仁グスクの歴史を刻んだ道でもあります。

 ハンタ道をのぼりきると、大正5年に開通した道と合流します。一帯は集落跡でトゥムヌハーニ火神、アオリヤエノロドゥンチ火神、今帰仁ノロドゥンチ火神の拝所があります。火神の祠があるところは、かつてノロなどの住居跡だとわかります。今から400年前くらいに、そこから集落は麓に移動しています。拝所から旧家の跡や家々(集落Iがあったことがわかります。


エーガーグスクへ上る前に手足を清めたエーガー



ミームングスク
ミームングスクは物見台で見張り役がいた場所かも


ノロ殿内跡
ノロ殿内跡にはノロドゥンチ火の神の祠が立っている



投稿者名:usan

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