2011年11月アーカイブ

発掘現場を回ってみました

1週間ほど前に、発掘現場説明会があり、参加しました。そのときの様子を撮影したのですが、SDメモリーカードが壊れていて、画像は撮れていませんでした。そこで、再度撮影しました。

沖縄タイムス紙10月31日朝刊で、トップ記事にとりあげられ、発掘調査による新事実が紹介されました。次の記事を参照「ナント発掘の記事が一面を飾りました!!」

高官の住まいがあったところ、今帰仁城跡外郭上の写真は今帰仁城跡「外郭」の高官の住宅のあった基壇の石積み(復元)。1600年代後半の肥前焼などの高級陶磁器や碁石が発掘されました。この頃、高官つまり監守がここに住んでいたことになります。

今までの通説では、監守は今帰仁城内から出て、集落に住んでいました。1609年に今帰仁城は薩摩軍によって焼き討ちにされたからです。ところが、監守は城内に住んでいた、というわけです。

監守が城内に住んでいたなら、今帰仁城は、まだ機能していた可能性があります。

監守とは、首里王府から遣わされた今帰仁城の管理人です。尚真王の第3子を1世と数えて、5世は薩摩軍襲来の翌日に死亡しました。その子6世が上の写真の石の基壇部分に建てられていた館に住んでいたと思われます。


外郭の石済み、根石がはっきり見える上の写真は外殻西側の石済み。根石がはっきり残っていて、東側(写真上のほう)へとつながる様子がわかります。


外郭とカーザフの石垣の接合部分上の写真は外郭とカーザフ(谷間)の石垣の接合部分。道路の下に石垣が残されています。


外郭西側発掘部分、休日のためブルーシートでおおわれています 外郭西側発掘部分

日曜日のため作業はお休み。ブルーシートでおおわれて、上の2箇所は見ることができませんでした。

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