2012年3月アーカイブ

ノロ職辞令書、北中城村で発見

 

タイムス12.03.17 ノロ職辞令書、北中城村で発見.jpg (沖縄タイムス3/17、記事原文はコチラ

 


2月末で終了しましたが、今帰仁ではこんな企画展をやっていました。

琉球のノロ制度の全貌がわかるすばらしい企画でした

詳細はコチラ
http://rekibun.jp/noroseido.html

琉球のノロ制度の終焉.jpg

 

NHKBSに今帰仁城跡が・・・

おススメTV 「新日本風土記 -城-」(NHKBSプレミアム)

 

あまり期待せずに見ていたら

なななんと 今帰仁城跡が登場した



番組のなかほどか


短い時間だったけど 静かに流れるその映像は

今帰仁城跡の魅力をあますところなく伝えていた


あまたある日本の城の中で厳選された城のなかに首里城もあった

高良倉吉さんは分かるとして大田昌秀さんが登場したのには驚いた

NHKはここで、とても大切なことを伝えたかったのだと思う

他の城と扱い方がたしかにちがっていた 私はそう感じた。


BS受信の可能な人に限られるので恐縮なんだけど

是非 再放送を見てほしい
再放送予定は次の通り

  3月11日(日) 午前10:00 ー 11:00
  3月13日(火) 午前 8:30 ー 9:30

番組公式サイト http://www.nhk.or.jp/fudoki/
  バックナンバー  http://www.nhk.or.jp/fudoki/backnumber.html

今帰仁グスク内には目立たないようですが、案内板があります。景観に配慮して、はでな案内図などはありません。それでも、これらの案内板を読み写真を見るだけでも、その場所の説明は十分に伝わります。以下、新設された案内板をご紹介します。

大隅の城壁の案内板 今帰仁グスクの正面の城壁の案内板です。大隅の城壁と呼びますが、美しい曲線を描いています。案内板の写真を見ると、修復前の城壁です。修復前と後ではかなり変化が見られますが、城壁の基礎はきちんと残っています。


大隅の城壁案内板の写真。城壁の修復前の様子がわかる 写真の城壁は上部が崩れていますが、現在の城壁と比べても見劣りしないほどで、オリジナルの迫力があります。城壁の下のほうにソテツがあります。現在のソテツの植栽は、この写真を基にしたものでしょう。今のソテツが繁茂してくれば、写真のように野趣が感じられるようになります。

大隅の城壁案内板の説明書き説明を読むと、美しい城壁の曲線は敵を倒すための工夫であることがわかります。山北・中山・山南の三山時代に、攻めて来る中山軍を寄せつけなかったという城壁の構えであることが納得できます。中山軍は正面からの攻撃をやめて、少数の精鋭部隊が西側の険しい谷から登って攻め入った、とされています。



大庭(うーみゃー)の案内板
大庭(うーみゃー)は、案内するガイドがいないと、「ここは何?」のところです。参道の階段を上った所に設置されたので、「なるほど」と読んでいただけます。

大庭の案内板の説明書き首里城と同じような機能があり、建物は同様の配置になっていたとは興味深いですね。今帰仁グスクには監守制度が置かれ、監守と呼ばれる役人が首里城から派遣されていました。
初代監守は尚巴志王の次男尚忠でした。第二尚氏の時代になってから、尚真王の三男昭威が監守となり、その子孫が代々監守を務めました。このように、監守を通して今帰仁グスクは首里とのつながりができていました。

案内文の世果報(ゆがふ)とは、ドラマ「ちゅらさん」で、沖縄居酒屋の名前にも使われていました。これは日本の古い言葉で沖縄に残っている言葉のひとつ。意味は、世の中の素晴らしい事、豊年とか五穀豊穣とか、そういう願いがこめられた言葉です。(平良とみの沖縄タイムより)


大庭での年中祭祀、グスクうぃみ今帰仁ノロや神人(かみんちゅ)がおこなった年中祭祀のようすが写真で見られます。今は、おこなわれていないため、昔の情景をしのぶ貴重な写真です。


テンチジアマチジの御嶽で祈願するひと
御嶽とは、「琉球固有の祭祀施設、琉球の信仰における聖域」、「神が存在あるいは来訪する」と説明されています。わかりやすいですね。
「今帰仁のカナヒヤブ」というのは、神名のテンツギノカナヒヤブノオイベからきているのでしょう。テンチジアマチジは俗名で、「テンツギノカナヒヤブ」と記載されているガイドブックもあり、表記が3通りくらいありますから留意しておきましょう。

写真は石垣の囲いの中にはいって、祈願するひとの様子がわかります。聖域は男子禁制でしたが、今は男性も中にはいって祈願しています。

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