2014年1月アーカイブ

ライトアップされた大隅の城壁
(上の画像は大隅の城壁)


ライトアップされた城壁と桜を見てきました。ガイドにとっては普段から見慣れた場所ですが、ライトアップされた夜景は別世界のようです。


外郭の城壁もライトアップされました
外郭の城壁は高くありませんが、蛇行していて外敵を寄せ付けない感じがします。
平らな石積みは、復元された高官の住居跡。



フィドゥンチ火の神のライトアップ
古宇利殿内(フィドゥンチ)火の神(ひぬかん)。こじんまりとしておしゃれな火の神です。



ライトアップされた大隅の城壁(2)
大隅の城壁の曲線が明かりに映えて美しい。



参道沿いにローソクが点灯、夜桜が映えます
参道、七五三の階段にはローソクの明かりが点ります。緋寒桜は、ほぼ満開。ライトに映えています。



ライトアップされた緋寒桜
平郎門近くの桜です。

今泊集落の案内板でガイドがコースを説明

今泊集落の案内板、拡大できます
今泊集落の散策は、今泊の案内図からスタート。地図をご覧ください。集落内は整然と道が通っていて、格子状集落になっています。沖縄県内でも非常に珍しい集落の形態です。


現在の今帰仁ノロ殿内(ノロの屋敷)
現代の今帰仁ノロ殿内(なきじんのろどぅんち)。今帰仁ノロを務めるのは仲尾次さん。広い敷地内には珍しいリュウガンの大木があります。


志慶真乙樽の墓は今帰仁グスクと泳ぐ魚が見える場所にある
志慶真川の対岸にある志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の墓。乙樽は今帰仁御神(なきじんうかみ)と呼ばれるほど徳の高いグスク時代の女性で、今帰仁村では今でも敬われています。

遺言により、今帰仁グスクを望み魚の泳ぐ姿の見えるところに、墓が造られました。今帰仁グスクの大庭(うーみゃー)には、乙樽を詠んだ琉歌の歌碑が建っています。



今泊で生まれ育った上間さんの案内
今泊で生まれ育った上間さんの案内に聞き入る参加者たち。



御殿屋敷跡
御殿ガー、井戸
御殿屋敷跡(うどぅんやしきあと、上)と井戸



カンジャーヤー(鍛冶屋)の位牌と図像
カンジャーヤーの仏壇。位牌と香炉などが3段に置かれている。数点の図像は信仰の対象ともなっていた。


カンジャーヤー(鍛冶屋)の跡、洞内にはフイゴが置かれている
洞の中にはフイゴが置かれている
カンジャーヤーとは鍛冶屋のこと。洞窟周辺は鍛冶場の跡で、洞窟内にはフイゴが置かれ、拝所となっている。


カンジャーヤー跡のすぐ側には海が広がっている
カンジャーヤーのすぐ側には海が広がる。



集落内の十字路
集落内の交差点。交差点には魔よけのための石敢當が設置されている。



津屋口墓は監守三世の墓、何故ここに?
津屋口(つやぐち、ちぇーぐち)墓。別名のあかん墓は、墓が塞がれていることから名づけられた。北山監守三世の和賢(わけん)が葬られている。三世が一人だけ離されているのは、伝染性の病気のためと伝えられる。



シルバマは白浜のこと、伊是名・伊平屋島が見える
シルバマは白浜のこと。伊是名、伊平屋島が見えるきれいな海岸です。


集落内ではフクギ並木が家々を囲んでいる
集落内のフクギ並木は屋敷を囲む防風林で、今では貴重な景観となっています。



オーレーウドゥン(阿応理屋恵殿内)、かつて阿応理屋恵ノロの屋敷があった
オーレーウドゥンの中には香炉と花が

かつての阿応理屋恵の屋敷跡、今は畑に
オーレーウドゥン(御殿)と呼ばれる阿応理屋恵ノロ殿内跡(あおりやえノロどぅんち)。阿応理屋恵ノロは国頭全体を統括した高位のノロ。

祠の中には、香炉と添えられた花が見られます。

屋敷跡は現在は畑になっています。




かつての馬場へ出る、行く先は公民館
集落内の最も広い通りは、かつての馬場です。農民は競馬をして馬を操る技術をみがき、楽しみました。


今泊仕様の自販機、グスクの桜と棒術のイラストが描かれている
今泊仕様の自販機を見つけました。今帰仁グスクの桜と、伝統芸の棒術がイラストになっています。
缶コーヒーの価格は100円でした。


校舎のような今泊公民館
学校の校舎のような今泊公民館。道をまたいで建てられているので、自動車が出てきます。参加者が見ているのは、樹齢推定300年といわれるコバテイシの老木。コンクリートの柱で補強しています。

今泊の年中行事は毎月のように行なわれた
今泊の年中行事は、ほぼ毎月おこなわれます。ノロや神人(かみんちゅ)たちは多忙だった?かもしれません。年中行事をおこなう場所のひとつが、下の写真の神ハサギで、4本の柱で軒の低い屋根を支えています。


今泊の神ハサギは2箇所ある
今泊には神ハサギが2カ所あります。旧親泊ムラと旧今帰仁ムラの祭祀がおこなわれたためです。
今泊という名前は、今帰仁ムラと親泊ムラの一文字づつを採って名づけられました。


今泊の神ハサギは2箇所ある、こちらが旧今帰仁ムラのハサギ
旧今帰仁ムラの神ハサギです。




文字のない自然石の石敢當は珍しい
自然石の石敢當(いしがんとう)で、たいへん珍しいもの。人の形にも見えます。


かつての宿道、行く先はエーガー(親川)
かつての宿道(しゅくみち、すくみち)は、今の国道のようなもの。最近、琉球石灰岩で舗装整備されました。
これから、今帰仁グスクへの登城道である、ハンタ道へと向かいます。


運天集落と古墓は、「桜の季節にガイドとめぐる今帰仁の史跡」のCコースです。ガイド約10人で歩いてみました。

写真でコースをご紹介します。

運天港から古宇利大橋をながめる
Cコースのスタート地点から見た古宇利大橋。


運天港から古墓群が山腹に見える。
山腹を削って造った墓群が見えます。


大北(うーにし)墓には第2監守時代の監守たちが葬られている。
大北(うーにし)墓には、第2監守時代の監守たちやアオリヤエが葬られています。別名按司墓。

元は、今帰仁グスクの麓(ふもと)のウツリタマイにあったものを、1761年に今帰仁王子(十世宣謨、せんも)が拝領墓として建造したものです。
岩をくり抜いて造ったりっぱな墓で、今帰仁村指定の文化財です。


大戦中に魚雷艇を格納した穴が今も残っている。
道の脇に穴が掘られています。中は塞がっていますが、大戦中に魚雷艇を格納した穴です。今でも何ヵ所か残っています。運天港には日本軍の魚雷艇の基地があったのです。


ウケメービラと呼ばれる坂。
ウケメービラと呼ばれる坂道です。薩摩軍が運天港に上陸した(1609年)とき、進軍を阻むために、粟の粥(かゆ)を煮たぎらせてこの坂に流したと伝えられています。ウケメーは粥のこと、ビラは坂道の意。

坂道を登って移動しますが、今は階段状に整備されています。



源為朝の上陸碑
為朝上陸碑の書は東郷平八郎による
源為朝の上陸碑です。書は東郷平八郎によるもの。下のほうには、国頭郡教育部会と刻まれています。

日琉同祖論とは、日本と琉球は同じ始祖から始まったと言う考えですが、為朝上陸碑の書の主から、軍国主義の臭いもしてきます。


百按司墓は大勢の按司の墓と言う意味。
百按司墓(ムムジャナハカ)とは、大勢の按司が葬られた墓の意味です。『中山世譜、ちゅうざんせいふ』に「監守貴族」と記述があるので、第一尚氏の監守貴族が葬られていると考えられています。
中には北山王の墓として拝む人たちもいるということです。

歴史文化センターには、第一墓所にあった漆塗りの木棺が修復され、展示されています。
今帰仁村指定の文化財です。


百按司墓の特徴ある姿
百按司墓の中にある厨子甕
百按司墓の特徴ある姿です(上)。中をのぞくと厨子甕が見えました(下)。


百按司墓にある大きな鍾乳石。
墓の上には大きな鍾乳石が見えます。


運天港展望台からのながめは絶景です。
展望台からのながめは絶景です。晴れの日には、与論島まで見ることができます。長い橋は古宇利大橋。


ティラガマは運天地区の拝所でもある
為朝の手形と伝えられている岩のくぼみ
ティラガマは自然にできた洞窟です。運天地域の拝所ともなっています。洞窟内には為朝の手形と伝えられる岩のくぼみがあります。


運天トンネル
運天トンネルは、大正13年(1924年)に竣工しました。急な坂道を登って往来していた人々にとって、恵みのトンネルでした。


運天の湧き水
かつては水田に引いた水が今も湧いています。


運天のアサギは軒が低く造られている
運天のアサギです。かつてはノロや神人(かみんちゅ)が祈願しました。

あけましておめでとうございます

謹賀新年

今年もよろしくお願いいたします。

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