2014年2月アーカイブ

僧侶のレリーフのある厨子甕1
僧侶のレリーフのある厨子甕2
御嶽(うたき)や拝所をご案内すると、お客様から「仏教は伝来しなかったのですか?」あるいは「琉球・沖縄の宗教はどんなものですか?」と、ご質問があります。

今帰仁グスクのある今帰仁村には、お寺は一つもありませんし、北部全体でもわずかしかありません。 


 僧侶がレリーフになった厨子甕(ずしがめ)を、発掘調査報告書に見つけました。厨子甕とは、埋葬のために骨をいれる壷のことです。 

写真を見ると、明らかに僧侶の姿がレリーフ(浮き彫り)になっています。複数の僧侶が墓を囲んでいるデザインも見られます。 

この厨子甕は、運天港近くの百按司(むむじゃな)墓と大北(うーにし)墓付近から見つかったものです。 

2つの墓とも、今帰仁グスクに関わりのある人々が葬られています。 これらの厨子甕の製造年代は、発掘調査記録によると、17世紀から18世紀の近世期の製造とのことです。 近世期には、埋葬と仏教が関わっていたと考えられそうです。

百按司墓自体の成立年代は古琉球まで遡る可能性は高いが、一方で大北墓の被葬者は1570年頃?1687年頃の人物が葬られており、近世期にかけて継続的に墓群が利用され続けた事をうかがい知ることができる。 

 また、大北墓周辺で回収された厨子甕(かめ)も、製造年代についてこれまでの研究を参考にすると、17世紀から18世紀と近世全般に及んでいる。(今帰仁村文化財調査報告書第33集「運天古墓群?」より)

画像は今帰仁村文化財調査報告書より


琉球王国の時代には、王家の菩提寺が首里城近くにありました。僧侶は、日本から渡来し、明国との間の通訳として外交におおいに力を発揮したようです。

過去の記事

文化財係のブログ記事を読む

今帰仁城跡周辺の自然

今帰仁村の文化財