2014年3月アーカイブ

今帰仁グスクのさくらんぼが最盛期

今帰仁グスクのさくらんぼ(1)
今帰仁グスクの緋寒桜に、さくらんぼが実って枝も重そうです。上の写真は、平郎門(正門)を入って、参道(七五三の階段)を見たところ。



今帰仁グスクのさくらんぼ(2)
下の写真は、参道から平郎門を見たところ。門の左右に黒く見えるのは、のぞき窓から外をうかがう門番の立つところです。

しばらくは、さくらんぼが楽しめそうです。

今帰仁グスクに、さくらんぼ色づく

今帰仁城跡の緋寒桜に、さくらんぼがたわわに実り、色づいています。

県外ではこれから桜の季節を迎えるのですが、沖縄はすでにさくらんぼが実り、早朝には野鳥が実を食べに来ます。
人間も食べられますが、真っ赤にならないと渋いです。野鳥よりも早く登城すれば、真っ赤な実が手に入るでしょう。

先週、アオバトが飛来してきました。緑色のきれいな鳩で、久しぶりに見ることができました。


琉球新報が今帰仁城跡のさくらんぼを報じていましたので、以下に引用させていただきます。

琉球新報の記事、今帰仁グスクにさくらんぼ色づく

津屋口墓
今泊集落内にある北山監守三世和賢の墓



なぜか一人離れて葬られた北山監守、三世和賢の墓は今泊集落内にあります。 


今帰仁グスクの城主たちは、時代と共に移り変わりがあります。グスク時代には、按司あるいは北山王と呼ばれました。歴史に登場する人物としては北山王が3代にわたって君臨しました。

琉球王国の時代には監守が、管理人として首里から派遣され、今帰仁グスクの城主となりました。


北山監守 三世和賢(今帰仁城跡 今帰仁村文化財ガイドブックより)
 北山監守 三世和賢


一人ぼっちの三世和賢は、第2監守時代の人で、わずか35歳で亡くなりました。1591年のことです。監守一族は運天港にある大北(うーにし)墓に葬られたのですが、三世和賢は例外で今泊集落内墓に葬られたのです。

おそらく、病気で亡くなったのでしょう。今帰仁ノロのご主人の話によると伝染性の病だったらしいということです。

この墓は、通称アカンバカと言われ、墓の入口が閉ざされていて開かないからでしょうか。正式名は津屋口(つやぐち)墓、地元ではちぇーぐち墓と呼びます。


入口が閉ざされているのでアカンバカと呼ばれる
 墓の入口が閉ざされているのでアカンバカと呼ばれる、
北山監守三世和賢の墓


第2監守一族が今帰仁グスクに常駐したのは、一世韶威(しょうい)から七世従憲(じゅうけん)までの7代です。三世を除く二世から七世までが、運天港にある大北(うーにし)墓に葬られています。

監守の勤めを終えた監守たちは、初めは今帰仁グスク近くの「うつりたまい」と呼ばれる墓に葬られたのですが、墓が崩落したということで運天港に移葬されました。 なお、一世は首里の玉陵(たまうどぅん=王家の墓)に葬られています。

大北墓は監守と一族が葬られている
大北(うーにし)墓には北山監守とその一族が葬られている
りっぱな墓です



北山監守のイメージです。

北山監守 (今帰仁城跡 今帰仁村文化財ガイドブックより)
北山監守一世から六世


北山監守2 (今帰仁城跡 今帰仁村文化財ガイドブックより)
北山監守七世から十一世

北山監守の絵は今帰仁城跡 今帰仁村文化財ガイドブックよりお借りしました。

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