与論島が見えた一日

そいつぎの御嶽から東シナ海をみる
そいつぎの御嶽(うたき)から東シナ海を見たところ


今帰仁グスクの御内原(うーちばる)から、与論頭がしばらくぶりで見えました。こんなに近い島ですから、今帰仁グスクと関わりがありそうです。

調べてみると、15世紀初め、当時今帰仁グスクの城主だった山北王怕尼芝(はにし)の二男(王舅:おーしゃん)が、与論島に渡り世の主となり、与論グスクを築いた、という伝承があります。

その後、山北王は中山(尚氏、首里城)に滅ぼされるので、与論島も首里の管轄化に入ったと思われます。伝承によると、尚真王の次男尚朝栄が、世の主として与論島へ渡りグスクを築きました。

ということは、与論島のルーツは山北(今帰仁グスク)そして首里(琉球)にあると言えるかもしれません。


実際に、与論島の人々は以下のように、いくつかの系統に分かれているようです。

・三山の時代以前から島にいた人々(アマンチュ系)   
・北山の時代に島にやってきた一族(北山系)   
・三山統一後、首里王府から派遣された一族(中山系)   
・1611年以降、薩摩役人などの系統(薩摩系)   
・その他


これらの系統をみると、与論島は、やはり山北(今帰仁グスク)そして首里(琉球)に大きく関わっていると思えてきます。




(残念ながら、与論島はコンパクトカメラでは写りません。)
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