ツワブキ咲く今帰仁城跡を写真でご紹介します

ツワブキ咲く旧道
今帰仁城跡は、いまツワブキの花でいっぱいです。花を見ながら歩いてみました。
写真上は、旧道です。旧道は今帰仁グスクが栄えていたころ、グスク内外の人々が上り下りした道です。

石の並びが、凹凸が激しく歩きにくいです。北山王が城主であった14世紀から15世紀のはじめまでの三山の時代には按司(あじ:豪族)の抗争があったため、敵兵が入り込んだ場合に備えて、わざと上りにくい構造に造ったとされています。

それにしても、中山(ちゅうざん:首里)が琉球を統一した後も、平坦に直すことはなかったのでしょうか?
今では、上る道は、新しい参道である七五三の階段がありますから、ご安心ください。




ツワブキに飛来したミツバチ

カラウカーに咲くツワブキ
カラウカーです。カラウカーは、自然石のくぼみを利用した水を溜めるところです。言い伝えによると、女官が髪を洗ったとされますが、水の量からそれは無理なので、宗教儀式の清めのことではないでしょうか。朝、野鳥が水を飲んだり、水浴びをしていました。


野鳥が飛来したカラウカー



北殿跡に咲くツワブキ
北殿跡に石の香炉が一つ、ひっそりと置かれています。かつては、今帰仁ノロと神人(かみんちゅ)たちが宗教行事をおこなったところです。琉球の時代には、宗教行事(祭祀:さいし)は、国にとっても、人民にとっても欠かせない重要なものでした。

明治期の廃藩置県とそれに続く琉球処分で、祭祀制度は廃止されました。 社会の形態も農耕社会から変貌し、自由な時代となりました。今では、今帰仁ノロも高齢となり、祭祀をつかさどる神人も不在です。


拝みの井戸を覆うように咲くツワブキ
ツワブキが覆うように見える崖沿いの井戸は、拝みのための井戸で浅く、水はありません。気づく人はほとんどいない場所ですが、石積みがきちんと作り込まれているのを見ると、グスクの栄えた琉球の時代には、はっきりした目的があった部分と思われます。


志慶真城郭を見下ろすツワブキの花
裏門を守る兵士が住んだとされる志慶真城郭を見下ろす、眺めのよいポイントです。谷へ延びる石積は、水揚げ場の跡ではないか、と考えられています。



城内上の御嶽の前に咲くツワブキ
城内上の御嶽(うたき)です。上の御嶽という表記は、首里王府が編纂した書物にあります。首里城としても重要な御嶽で、首里王府の上級ノロによって、琉球王国の存続を祈願した場所です。

最後の北山王のとき、中山(ちゅうざん)に敗れた攀安知(はんあんち)王は、名刀千代金丸で霊石を切り、志慶真川に投げ捨てて自害したと伝えられます。北山が滅亡した後、中山によって琉球全土が統一され、琉球王朝の時代が始まります。

別名テンチジアマチジと呼ばれるこの御嶽は、北山滅亡の目撃者でもあります。
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