2015年10月アーカイブ

攀安知(はんあんち)

今帰仁グスクの最後の王である北山王攀安知(はんあんち)は1416年に中山軍に滅ぼされますが、その人柄はどちらかといえば良くない人物として描かれてきました。しかし、明(中国)と積極的に朝貢するなど北山の繁栄に貢献した人物でもあります。

歴史書『球陽』では彼を「武芸絶倫」や「淫逆無道」、また『中山世鑑』では「勇力ノ剛者」と記しています。

その姿は意外に詳しく描かれていて、歴史家上里隆史氏がイラスト復元を試みました。(以下引用。改行はブログ記事投稿者による。)

中山軍に立ち向かう攀安知の姿は
「赤地ノ錦ノ直垂【ひたたれ】ニ、火威【ひおどし】ノ鎧【よろい】ヲ着、龍頭ノ甲【かぶと】ノ緒ヲシメ、千代金丸トテ、重代相伝ノ太刀ヲハキ、三尺五寸ノ小長刀【なぎなた】ヲ腋ニ挟ミ」(『中山世鑑』)とあることから、この記述をもとにイラスト化した。

直垂とは鎧の下に着る衣服で、火威とは甲冑の小札【こざね】(鉄や革製の板)をつなぐ赤色のヒモのことである。つまり彼の出立ちは全身真っ赤だったことを意味する。

ただイラスト化に当たっては配色のバランスも考え、直垂は真っ赤にせず、萌黄【もえぎ】色になった。また兜の上には龍の頭をかたどった装飾品が付いている。日本刀の千代金丸は那覇市歴史博物館に現存するのでそれを根拠とした。

なぎなたは今回採用せず、千代金丸を描いています。イラストは和々さん。


北山王攀安知のイラスト復元の試み?『琉球戦国列伝』を通じて? 上里隆史氏(早稲田大学琉球・沖縄研究所招聘研究員) 今帰仁グスク特別号より 上里氏から許可を得てイラストを掲載しています。

『琉球戦国列伝』はボーダーインク社より出版されています。



海道新聞リンク用(画像をクリックすると別ウィンドウで拡大します。)


海道新聞02-500

今帰仁グスクをご両親と共に訪れた女子中学生が、「世界遺産の歩き方」をまとめてくれました。

「攻めにくい城は住みにくい?」 今まで誰も思いつかなかったタイトルです。

「二つの時代が共存する空間」 これも普段なんとなく見過ごしている部分です。今帰仁グスク主郭には、14世紀と16世紀の住居跡が並んで配置されています。指摘されて初めて納得。

コラムには、石の間にはさまれた金属片を丁寧に観察しています。金属片は修復の境目を示す重要なもの。

初めて訪れた方が、今帰仁グスクをどのように見たのか。目からウロコの世界遺産の歩き方でした。



伝統行事 門中による今帰仁上り

今帰仁上り金城門中500
今帰仁上り金城門中02-500
門中(むんちゅう)と呼ばれる親族一同が今帰仁グスクを詣でる、今帰仁上り(なきじんぬぶい)は、1800年代に始まったとされる伝統行事です。

旧盆が終わると今帰仁上りが始まります。今年真っ先にグスクを詣でたのは、糸満の金城門中。北山王攀安知(はんあんち)の次男の子孫です。

攀安知は中山軍に滅ぼされ、難を逃れた次男が身元を隠すため金城と名を変えて生き延びました。潮平という集落は、かつてはムラ全体が金城姓だったといいます。

潮平集落では、戦前は畳表に使うイグサを、その後はキビを栽培したようです。潮平の名は、初め製塩業を営んだからと思われます。

今帰仁グスク 空の風景

グスクの空01-500
グスクの空02-500
グスクの空03-500

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