2016年1月アーカイブ

お墓めぐり?なんて言わないでください

天然の良港とよばれた運天港と大北(うーにし)墓のご紹介です。

天然の良港とよばれる運天港
昔の運天港付近からのながめ。今では古宇利島へかかる古宇利大橋が見えます。ご紹介する大北(うーにし)墓はこの近くにあります。


大北(うーにし)墓は今帰仁監守の墓
大北(うーにし)墓は自然の岩をくり抜いた大きな墓。


大北墓の碑文
大北墓の碑文。葬られている人々が記録されている。



お墓めぐり?なんて言わないでください。このお墓は琉球の歴史が詰まっている場所なのです。

天然の良港とよばれた運天港に、大北(うーにし)墓があります。写真中をご覧いただくと、大きな岩をくり抜いて、みごとな墓が造られています。ここに北山監守(第二監守)が葬られています。監守とは役職名です。

今帰仁グスクの城主である北山王が倒されたあと、北山監守が、琉球の都となった首里から派遣され、今帰仁グスクを管理することになりました。監守派遣の理由が面白いのですが、「北山の地(琉球北部)は、都から遠くて険しく、住む人が勇猛だから、首里に反抗するかもしれない」というものです。

たしかに当時としては、琉球の中心である首里から北山の地は、船で往来するわけですから、遠かったに違いありません。今帰仁グスクは険しく見える山の上に建てられています。しかし、人が勇猛であるというのは、かなり悪口に聞こえます。滅ぼされた北山王は武道の達人だったが、人をひととも思わない人物だった。と伝えられているので、まったくの作り事ではないようですが、、。

今帰仁グスクに住んでいた監守は7世まで。北山監守が管理したおかげで、北山は王都首里に反抗することなく、統一された後の琉球王国は、安泰でありました。監守は首里王府におおきな貢献をしたわけです。それで、立派なお墓が造られ、いまでも伝統行事「今帰仁上り」には、おおぜいの人びとが、この大北(うーにし)墓に詣でるのです。


運天の集落と古墓めぐりは、「ガイドとめぐる今帰仁の史跡」のCコースに指定されています。

今帰仁監守3世は 寂しく一人今泊に眠る

開かん墓、監守3世が今泊に眠る

開かん墓、監守3世が今泊に眠る(2)
上の墓の写真は入口が閉じられていて、開かん墓とよばれます。

開かん墓とは、開かない墓と言う意味です。この墓は閉じられていて、開けることができません。ふつう、墓は入口があり、新しく亡くなった人の骨を入れることができますが、この墓は閉じられているので、もはや誰も入れないし、取り出すこともできません。

いわくのありそうなこの墓は、しかし、位の高い身分の人が葬られています。今帰仁監守三世、和賢(わけん)の墓です。正確には津屋口(つやぐち)墓といいます。

今帰仁監守(なきじんかんしゅ)とは、首里王府から派遣され、北山(ほくざん=琉球の北部地域)を治める重要な役職です。尚氏を名乗っているので、王家の一員で位は高いです。

和賢は病気ではなかったかと言われたりしますが、真相は不明。ちょっと悲しいような気がしますね。

監守1世から5世800.jpg
(監守のイラストは運天肇氏。今帰仁村文化財ガイドブック今帰仁城跡より転載させて頂きました。)


和賢のプロフィール:
監守三世 向和賢(しょう わけん)
の字を使ってしょうと読む、の字は一世のみが使用できる。
父の跡を継いで今帰仁間切総地頭職となるが、35歳で若くして亡くなる。監守一族は今帰仁グスク近くの大北(うーにし)墓に葬られるが、例外として津屋口墓に葬られている。

なお、一世尚韶威(しょうしょうい)は首里の玉陵(たまうどぅん)に葬られている。
5世克祉は薩摩入りの年に28歳の若さで亡くなっている。薩摩軍による焼き討ち事件の影響と考えられ、悲劇の監守と言えます。


開かん墓に咲いていた白いスミレ
開かん墓に咲いていた白スミレ。きっと今も咲いているでしょう。


津屋口墓(開かん墓)は、Bコース今泊集落の散策でめぐります。

今泊集落の地図、きれいに区画されている
今泊集落はグスク時代の城下町として、今帰仁グスク直下にありました。グスクを支えるための、城壁の石積み労役や水と食料の供給などを日常行うことによって、グスクの城主から守られ、見返りをうけて大いに栄えたと想像できます。

ところが、薩摩軍の侵略によって今帰仁グスクが廃城になると、集落ごと現在の海沿いの場所に下りてきます。集落移動という大変めずらしい事態が起こったのです。仕える城主がいなければ、便利な海沿いへ下りて、生計を立てなければなりません。

地図をご覧いただくと、実にきれいな格子状の道が通っています。風水の考えに基づいてムラ作りがなされたとされています。交差点には、石敢當(いしがんとう)とよばれる魔よけが立っています。

今泊集落の交差点、四角に区画されている
上の写真は、石敢當の代わりに子どもに注意の標識が立っているのが今風で面白い。
下の写真は、自然石の石敢當で大変めずらしいもの。

自然石の石敢當、今泊集落内
今泊の名前は、今帰仁ムラの「今」と親泊ムラの「泊」を組み合わせたもの。グスク直下にあった二つのムラが現在の今泊集落になっています。

今泊集落の散策は、ガイドとめぐる今帰仁の史跡Bコースに指定されています。

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