今帰仁監守3世は 寂しく一人今泊に眠る

開かん墓、監守3世が今泊に眠る

開かん墓、監守3世が今泊に眠る(2)
上の墓の写真は入口が閉じられていて、開かん墓とよばれます。

開かん墓とは、開かない墓と言う意味です。この墓は閉じられていて、開けることができません。ふつう、墓は入口があり、新しく亡くなった人の骨を入れることができますが、この墓は閉じられているので、もはや誰も入れないし、取り出すこともできません。

いわくのありそうなこの墓は、しかし、位の高い身分の人が葬られています。今帰仁監守三世、和賢(わけん)の墓です。正確には津屋口(つやぐち)墓といいます。

今帰仁監守(なきじんかんしゅ)とは、首里王府から派遣され、北山(ほくざん=琉球の北部地域)を治める重要な役職です。尚氏を名乗っているので、王家の一員で位は高いです。

和賢は病気ではなかったかと言われたりしますが、真相は不明。ちょっと悲しいような気がしますね。

監守1世から5世800.jpg
(監守のイラストは運天肇氏。今帰仁村文化財ガイドブック今帰仁城跡より転載させて頂きました。)


和賢のプロフィール:
監守三世 向和賢(しょう わけん)
の字を使ってしょうと読む、の字は一世のみが使用できる。
父の跡を継いで今帰仁間切総地頭職となるが、35歳で若くして亡くなる。監守一族は今帰仁グスク近くの大北(うーにし)墓に葬られるが、例外として津屋口墓に葬られている。

なお、一世尚韶威(しょうしょうい)は首里の玉陵(たまうどぅん)に葬られている。
5世克祉は薩摩入りの年に28歳の若さで亡くなっている。薩摩軍による焼き討ち事件の影響と考えられ、悲劇の監守と言えます。


開かん墓に咲いていた白いスミレ
開かん墓に咲いていた白スミレ。きっと今も咲いているでしょう。


津屋口墓(開かん墓)は、Bコース今泊集落の散策でめぐります。

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