お墓めぐり?なんて言わないでください

天然の良港とよばれた運天港と大北(うーにし)墓のご紹介です。

天然の良港とよばれる運天港
昔の運天港付近からのながめ。今では古宇利島へかかる古宇利大橋が見えます。ご紹介する大北(うーにし)墓はこの近くにあります。


大北(うーにし)墓は今帰仁監守の墓
大北(うーにし)墓は自然の岩をくり抜いた大きな墓。


大北墓の碑文
大北墓の碑文。葬られている人々が記録されている。



お墓めぐり?なんて言わないでください。このお墓は琉球の歴史が詰まっている場所なのです。

天然の良港とよばれた運天港に、大北(うーにし)墓があります。写真中をご覧いただくと、大きな岩をくり抜いて、みごとな墓が造られています。ここに北山監守(第二監守)が葬られています。監守とは役職名です。

今帰仁グスクの城主である北山王が倒されたあと、北山監守が、琉球の都となった首里から派遣され、今帰仁グスクを管理することになりました。監守派遣の理由が面白いのですが、「北山の地(琉球北部)は、都から遠くて険しく、住む人が勇猛だから、首里に反抗するかもしれない」というものです。

たしかに当時としては、琉球の中心である首里から北山の地は、船で往来するわけですから、遠かったに違いありません。今帰仁グスクは険しく見える山の上に建てられています。しかし、人が勇猛であるというのは、かなり悪口に聞こえます。滅ぼされた北山王は武道の達人だったが、人をひととも思わない人物だった。と伝えられているので、まったくの作り事ではないようですが、、。

今帰仁グスクに住んでいた監守は7世まで。北山監守が管理したおかげで、北山は王都首里に反抗することなく、統一された後の琉球王国は、安泰でありました。監守は首里王府におおきな貢献をしたわけです。それで、立派なお墓が造られ、いまでも伝統行事「今帰仁上り」には、おおぜいの人びとが、この大北(うーにし)墓に詣でるのです。


運天の集落と古墓めぐりは、「ガイドとめぐる今帰仁の史跡」のCコースに指定されています。

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