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伝統行事 門中による今帰仁上り

今帰仁上り金城門中500
今帰仁上り金城門中02-500
門中(むんちゅう)と呼ばれる親族一同が今帰仁グスクを詣でる、今帰仁上り(なきじんぬぶい)は、1800年代に始まったとされる伝統行事です。

旧盆が終わると今帰仁上りが始まります。今年真っ先にグスクを詣でたのは、糸満の金城門中。北山王攀安知(はんあんち)の次男の子孫です。

攀安知は中山軍に滅ぼされ、難を逃れた次男が身元を隠すため金城と名を変えて生き延びました。潮平という集落は、かつてはムラ全体が金城姓だったといいます。

潮平集落では、戦前は畳表に使うイグサを、その後はキビを栽培したようです。潮平の名は、初め製塩業を営んだからと思われます。

伝統の行事、門中の今帰仁上り

今帰仁グスクのカラウカーと呼ばれる拝所で祈願する門中のひとびと

門中による「今帰仁上り」という伝統行事が始まっています。旧盆が終わり秋にかけて、門中と呼ばれる男系親族の一団が、今帰仁グスクを中心に、聖地めぐりをおこないます。これが「今帰仁上り」です。沖縄語では「なきじんぬぶい」と言います。

今日は、いくつもの門中が、観光バスで今帰仁グスクへ訪れました。ガイドの合間をぬって後ろのほうで、撮影させてもらいました。

門中のひとたちは、供え物、線香、ウチカビなどを風呂敷に包んで、聖域を目指します。観光のお客様とは、持ち物が違うのですぐにわかります。


今帰仁グスクのソイツギの御嶽で祈願する門中のひとびと


祈願する内容は、一門の繁栄や無病息災などでしょう。拝所や御嶽(うたき)に供え物や線香を配置すると、年長者の合図で全員が手を合わせます。

祈願する拝所や御嶽は、門中ごとに少し異なり、伝承によって決まっているようです。5年に一度のわりで、この行事をおこなう門中が多いようです。



門中とは、元々は士族(武士)が組織したのが始まりです。首里王府に仕える士族が系図を作り、王府に提出します。門中に名を連ねていなければ、王府に仕えることができませんから、系図は履歴書や身分証明のようなものです。こうして、門中の結束は非常に固くなっていきます。後に、門中組織は農民階級にも広まっていきました。


今帰仁上りの起源は1800年代とされています。1879年には琉球処分がおこなわれ、琉球王国は存亡の危機にさらされます。そのような激動の時代に始まった行事だとすれば、琉球士族が自らの拠りどころとして、今帰仁詣でを位置づけたのかもしれません。

今帰仁グスクは聖地!?

今帰仁グスクの拝所で祈願する人びと
写真は今帰仁グスクの拝所で祈願する人びと。


今帰仁グスクは聖地でもあり、現代沖縄の人びとも詣でるのです。お客様にご案内すると、少し驚かれます。

今帰仁グスクが北山王の居城から、どのようにして聖地になったのか調べるのは、これからの課題です。それはさておき、聖地として詣でる人びとが秋になると続々と登城します。


御嶽(うたき)や拝所を詣で祈願することは、現代の人々にとっても大切なことです。古の琉球の神々は、いまでも同じ神々で、変わることがありません。

その古の神々に詣でることは、現代沖縄の人々にとって、精神的よりどころであり、自分のルーツを再確認することにもつながります。 

今帰仁グスクを中心とした聖地巡りは、日本ではなく琉球へと道が開けているような気がします。


今帰仁城内下の御嶽(うたき)
城内下の御嶽(うたき)は首里王府がリストアップした御嶽の一つでソイツギとも呼ばれる。


上の写真で、香炉に黒い線香と米が、手前の石の上にはさい銭が置かれています。今しがた祈願が終わった御嶽です。

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