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2017散策ツアーC (2)運天の古墓群
運天港の海に面した古い墓。ここから散策が始まります。
古い墓は断崖の岩を掘り込んで造られています。昔は風葬だったので、このような場所が選ばれたのでしょうか。




2017散策ツアーC (3)大北墓(ウーニシ墓)
大北墓。ウーニシ墓と読みます。今帰仁グスクを管理した第二監守と家族が葬られています。
監守は、琉球王国時代の王族である尚家の一族なので、墓の造りもひときわ立派です。
伝統的な「今帰仁上り」には、多くの門中(もんちゅう、親族)が訪れます。

この日の案内人は副会長の大田原さん。



2017散策ツアーC (5)大北墓で記念撮影
お墓の前で記念撮影。



2017散策ツアーC (7)ハサギ
ハサギ。ハサギとは、ノロや神人(かみんちゅ)が祈願する所。集落ごとに作られています。軒がとても低いのは、頭をさげ腰をかがめて、神の前に出るようになっているため。ハサギは、後に租税の集積場としても利用されました。



2017散策ツアーC (9)フクギ並木
フクギ並木の集落内を歩く。



2017散策ツアーC (10)大川(ウプガー)
ウプガー。大川と書いてウプガー。カーは湧き水や井戸を指す言葉です。
沖縄島内には、自然の湧き水が多く、水道が引かれるまでは、生活用水に利用されました。今では、コンクリートで固められ農業用水として使われています。



2017散策ツアーC (11)運天トンネル
運天トンネル。長さ約17メートル。ご覧のとおり短いトンネルです。今の姿は、コンクリートできれいに固められています。
大正13年(1924年)に竣工。それまでは、急な山道を登っていたので、村人にとって恵みのトンネルとなりました。



2017散策ツアーC (12)源為朝上陸碑
源為朝上陸碑。沖縄島に為朝が上陸したとの伝説は、根強くあったようです。運を天にまかせて、ここに上陸したから運天と名付けられたという語呂合わせも。
日本と琉球が近縁だという日琉同祖論や、皇民化教育に利用されたというのが、今の歴史認識です。書は東郷平八郎、台座には国頭郡教育部会と刻まれています。



2017散策ツアーC (14)百按司墓(ムムジャナ墓)
百按司墓。ムムジャナ墓と読みます。多くの按司(あじ)が葬られている、という意味ですが、誰が葬られているのかは不明。今帰仁グスクを管理した、第一監守一族ではないか、という説や、北山王の一族ではないか、という説もあります。
墓や周囲の景観がきわだっているので、一見の価値ありの場所です。



2017散策ツアーC (19)散策を終えて
集落へと戻ってきました。運天の史跡めぐりも終了です。

Bコース今泊集落の散策のスナップをご紹介します。

今泊集落は、今帰仁グスクが機能していたとき、グスク直下にあったムラです。グスクを中心に村人たちが、それぞれの役割をはたしていたと考えることができます。賑わっていたことでしょう。

ところが、薩摩軍の襲来により今帰仁グスクは廃城に追い込まれます。そのため、直下にあったムラも海岸沿いにムラごと移動したのです。ムラは2つあって、帰仁ムラと親ムラでした。2つのムラの名前を合わせて、今泊ムラとなったのでした。

見どころがいっぱいの今泊集落、今回の案内人は今帰仁グスクを学ぶ会会長の平良さんでした。


2017散策ツアーBコース今泊集落、公民館前
出発前のひととき。後ろの建物は学校ではなく、今泊公民館。



2017散策ツアーBコース今泊集落、フクギや生垣に囲まれた自然豊かな集落
集落内はフクギ並木や生垣が美しい。



2017散策ツアーBコース今泊集落、チニブと呼ばれる竹垣、学ぶ会が作製設置
竹垣をチニブといいます。今帰仁グスクを学ぶ会のガイドが製作・設置したものです。
集落の景観をよくする効果があります。



2017散策ツアーBコース今泊集落、シルバマと呼ばれる海岸、伊是名・伊平屋島が見える
シルバマと呼ばれる美しい海岸。シルバマとは、尻浜の意で、集落の後ろにある浜という意味です。
島尻(シマジリ)といえば、沖縄島の南部を指します。ちなみに北部は国頭(クニガミ)です。



2017散策ツアーBコース今泊集落、シルバマで記念撮影
シルバマで記念撮影。はるか水平線上に見えるのは、伊是名島。尚円王の出身地です。尚円王とその子孫が400年以上も琉球王国を支配しました。



2017散策ツアーBコース今泊集落、井戸
この古井戸はクビリガーと呼ばれます。深さ3から4メートルくらい。かつては貴重な水源だったのでしょう。砂地を掘っていくと、琉球石灰岩の層に当たり、さらに掘り込むと水脈に達します。沖縄島は意外に井戸が多いのです。井戸(カー)めぐりも興味深いですね。
クビリガーのいわれは、近くの志慶真川下流域が細くくびれていることに由来しています。




2017散策ツアーBコース今泊集落、鍛冶屋
カンジャーヤーガマ。カンジャーヤーは鍛冶屋のこと。ガマは洞窟。鍛冶屋の洞窟という意味です。浅い洞窟内には、鍛冶屋の使ったフイゴが置かれ、拝みの対象となっています。写真で見える四角いものは、香炉です。



2017散策ツアーBコース今泊集落、今帰仁ノロと所蔵の勾玉とかんざし
参加者がカメラを向けているのは、今帰仁ノロの勾玉とかんざしです。首里王府から賜った品です。ノロの証として大切に保管してきたものです。後方は今帰仁ノロ。現役のノロです。高齢のため、娘さんに引き継ぎつつあります。

ノロとは琉球王国で祭祀を務めた役職。首里王府から辞令書が手渡されます。今帰仁ノロは3つのムラの祭祀をおこないました。



今泊集落のツアーは、予約がはいり次第催行されます。

Aコースは、グスク時代の登城道「ハンタ道」を登り、今帰仁グスクまで歩きます。
琉球のグスク時代の道が保存されていて、今でも歩ける。まさに歴史の道です。

2017散策A1班、グスクの発掘現場で
  今帰仁グスクの発掘現場で文化財係の方から説明を受けています


2017散策A1班 (3)、物見台ミームングスク
  物見台とされるミームングスク


2017散策A1班 (6)、散策を終えて記念撮影
  散策を終えて記念撮影 A1班の皆さん


2017散策A2班 (8)、散策を終えて記念撮影
  散策を終えて記念撮影 A2班の皆さん

美しいシルバマは尻浜!?

今泊のシルバマは尻浜の意味だった
上の写真は、2016年1月下旬におこなわれた桜の季節散策ツアーの参加者の皆様。



今泊散策コースでめぐるシルバマ。白い砂浜、海の向こうには、伊江島や伊是名島が望める絶景。ここがシルバマです。

砂浜が白いからシルバマ、ではありません。集落の後ろにあるからシリバマ(尻浜)、それがなまってシルバマなのです。

(この説は今泊在住のガイド上間辰也さんによる)


今泊のシルバマ、白い砂浜が美しい
今泊集落のシルバマ。伊江島が見える。


今泊のシルバマ
シルバマの正面には、第二尚氏のはじめである尚円王の出身地、伊是名島が見える。

運天港にある源為朝上陸碑をガイドがご案内

「桜の季節にガイドとめぐる今帰仁の史跡」ツアーのひとコマ。源為朝上陸碑をご紹介します。上の写真は、ベテランガイドの説明を熱心に聴く参加者の皆様です。


源為朝上陸碑、書は東郷平八郎、国頭郡教育部会発起
「源為朝公上陸之趾」と刻まれた書は東郷平八郎の筆によるもの。
台座には国頭郡教育部会発起と刻まれています。

建立は大正11年。東郷平八郎と言えば、日本の幕末から明治時代の薩摩藩士で海軍軍人。国頭郡教育部会はこのころ、愛国心の育成を目的とした郷土教育をおこなっていた。

近代日本の皇民化教育のために、為朝が利用されたようです。しかし、それ以前に琉球の正史「中山世鑑」(1650年)に記録されているのです。

為朝が琉球北部の運天港に流れ着き、南部の有力者である大里按司の妹と結婚し、「舜天」という琉球王統の始祖が生まれた、というのです。

近代歴史学の研究によれば、為朝上陸は伝説であり、琉球王国(中山)が権威付けのために作為的に作ったもので事実ではないという結論です。

それにしても、この碑の石材は難破した外国船のバラスト(船の重り)を再利用したもので、歴史的遺跡の多く残された運天港の景色とともに、一度は見ておきたいものです。

参考文献:研究論文「源為朝来琉譚と発掘された沖縄」宮城弘樹氏(今帰仁グスクに掲載当時今帰仁村教育委員会、現在沖縄国際大学講師)今帰仁グスクを学ぶ会会誌より

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