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琉球のノロと現代の神人

今帰仁グスク正門で一礼する今帰仁ノロ
上の写真は、今帰仁グスク正門で一礼する今帰仁ノロ(2007年撮影)


琉球時代のノロを紹介すると、ほとんどのお客様は「巫女(みこ)?」と考えます。ノロは女性ですから、巫女と考えるのはもっともなことです。
ノロは琉球王国の制度でした。国の制度ですから、ノロは今で言えば国家公務員。ノロに任命されるときには、首里王府から辞令書が発行されます。辞令書には琉球国王の印が押してあります。(辞令書は今帰仁に残っていないのが残念ですが)

ノロと共に祭祀をつかさどるのが神人(かみんちゅ)と呼ばれる女性たちです。ノロも神人も、高齢化にともない、現在沖縄ではほとんど存在しません。
ところが、インターネットで「神人」「かみんちゅ」と検索すると、たくさん出てきます。これらの自称神人のサイトは、ユタです。ユタは琉球王国時代から存在したらしく、いわば、私設の占い師。霊感によって開業し、霊感で判じ事や祈願をおこないます。

首里王府が政治の側面としてノロ制度を定め、公務員としてノロを任命したのに対し、ユタは自分の霊感を基に自営業としてユタを始める。ここが大きな違いです。小説では、霊感豊かなノロが登場し、霊感によって祝詞(ミセゼル)を唱えますが、あくまでお話の設定です。ノロの任務は、年中祭祀を滞りなくきちんと行うことが大切。国の宗教なのですから、儀礼が大事です。

「すいてんがなし」とは首里城の琉球国王様を意味する言葉です。琉球国の祭祀をつかさどる上級ノロの祈願は、この「すいてんがなし」から始まることが記録されています。首里の王様を称え、琉球王国が永く存続することが最重要の祈願です。これを見ても、ノロの祈願は公務であることがわかります。

城内上の御嶽で祈願する今帰仁ノロ
上の写真は、城内上の御嶽で祈願する今帰仁ノロ(2007年撮影)


ノロと神人たち、今帰仁村歴史文化センターの案内版より
上の写真は、祈願するノロと神人たち。参加者の服装から、昭和初期の頃の画像か映像を元に描画したと思われる。(今帰仁村歴史文化センターの案内板より)

今帰仁グスクが造られ始めてから、繁栄をきわめたころ。13世紀の終わりごろから15世紀のはじめころまでを、琉球史ではグスク時代といいます。

グスクを丹念に調べた方のサイト「ハイヌミカゼ」によると、グスクの数は500以上もあります。すべてが今帰仁グスクのような大型グスクではありませんが、大から小にいたるまでたくさんのグスクがあったことがわかります。

グスクを造ったのは按司(あじ)と呼ばれた在地領主とされています。按司の数もかなりの数になると予想されます。
やがて、大小のグスクが淘汰されながら、力のあるグスクが残って、三山の時代とよばれる時代になります。すなわち、山北、中山、山南の三山で、山北が今帰仁グスクです。

今帰仁グスクの正面今帰仁グスクの正面。高さ8メートルの城壁が威圧する。

三山はおのおの中国(明)と朝貢関係をむすび、競って朝貢船を派遣しました。同時に東南アジアの海をわたり、中継貿易をおこなって富をたくわえました。こうして繁栄の時代を迎えるのですが、三山の平衡状態は長くは続きません。

山北に対抗するのが中山で、浦添グスクが中山の本拠地でした。中山は山北を、その後山南を滅ぼし、琉球統一を果たしました。

中山に敗れたとはいえ、山北すなわち今帰仁グスクは強大な力を持っていたことは間違いないでしょう。難攻不落といわれた城壁のかまえを見ただけでも納得できると思います。ガイドがご案内するのは、そんな歴史の一こまにすぎませんが、沖縄は日本とちがう歴史をもっているな、、と感じていただければ幸いです。

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