今泊集落の案内板でガイドがコースを説明

今泊集落の案内板、拡大できます
今泊集落の散策は、今泊の案内図からスタート。地図をご覧ください。集落内は整然と道が通っていて、格子状集落になっています。沖縄県内でも非常に珍しい集落の形態です。


現在の今帰仁ノロ殿内(ノロの屋敷)
現代の今帰仁ノロ殿内(なきじんのろどぅんち)。今帰仁ノロを務めるのは仲尾次さん。広い敷地内には珍しいリュウガンの大木があります。


志慶真乙樽の墓は今帰仁グスクと泳ぐ魚が見える場所にある
志慶真川の対岸にある志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の墓。乙樽は今帰仁御神(なきじんうかみ)と呼ばれるほど徳の高いグスク時代の女性で、今帰仁村では今でも敬われています。

遺言により、今帰仁グスクを望み魚の泳ぐ姿の見えるところに、墓が造られました。今帰仁グスクの大庭(うーみゃー)には、乙樽を詠んだ琉歌の歌碑が建っています。



今泊で生まれ育った上間さんの案内
今泊で生まれ育った上間さんの案内に聞き入る参加者たち。



御殿屋敷跡
御殿ガー、井戸
御殿屋敷跡(うどぅんやしきあと、上)と井戸



カンジャーヤー(鍛冶屋)の位牌と図像
カンジャーヤーの仏壇。位牌と香炉などが3段に置かれている。数点の図像は信仰の対象ともなっていた。


カンジャーヤー(鍛冶屋)の跡、洞内にはフイゴが置かれている
洞の中にはフイゴが置かれている
カンジャーヤーとは鍛冶屋のこと。洞窟周辺は鍛冶場の跡で、洞窟内にはフイゴが置かれ、拝所となっている。


カンジャーヤー跡のすぐ側には海が広がっている
カンジャーヤーのすぐ側には海が広がる。



集落内の十字路
集落内の交差点。交差点には魔よけのための石敢當が設置されている。



津屋口墓は監守三世の墓、何故ここに?
津屋口(つやぐち、ちぇーぐち)墓。別名のあかん墓は、墓が塞がれていることから名づけられた。北山監守三世の和賢(わけん)が葬られている。三世が一人だけ離されているのは、伝染性の病気のためと伝えられる。



シルバマは白浜のこと、伊是名・伊平屋島が見える
シルバマは白浜のこと。伊是名、伊平屋島が見えるきれいな海岸です。


集落内ではフクギ並木が家々を囲んでいる
集落内のフクギ並木は屋敷を囲む防風林で、今では貴重な景観となっています。



オーレーウドゥン(阿応理屋恵殿内)、かつて阿応理屋恵ノロの屋敷があった
オーレーウドゥンの中には香炉と花が

かつての阿応理屋恵の屋敷跡、今は畑に
オーレーウドゥン(御殿)と呼ばれる阿応理屋恵ノロ殿内跡(あおりやえノロどぅんち)。阿応理屋恵ノロは国頭全体を統括した高位のノロ。

祠の中には、香炉と添えられた花が見られます。

屋敷跡は現在は畑になっています。




かつての馬場へ出る、行く先は公民館
集落内の最も広い通りは、かつての馬場です。農民は競馬をして馬を操る技術をみがき、楽しみました。


今泊仕様の自販機、グスクの桜と棒術のイラストが描かれている
今泊仕様の自販機を見つけました。今帰仁グスクの桜と、伝統芸の棒術がイラストになっています。
缶コーヒーの価格は100円でした。


校舎のような今泊公民館
学校の校舎のような今泊公民館。道をまたいで建てられているので、自動車が出てきます。参加者が見ているのは、樹齢推定300年といわれるコバテイシの老木。コンクリートの柱で補強しています。

今泊の年中行事は毎月のように行なわれた
今泊の年中行事は、ほぼ毎月おこなわれます。ノロや神人(かみんちゅ)たちは多忙だった?かもしれません。年中行事をおこなう場所のひとつが、下の写真の神ハサギで、4本の柱で軒の低い屋根を支えています。


今泊の神ハサギは2箇所ある
今泊には神ハサギが2カ所あります。旧親泊ムラと旧今帰仁ムラの祭祀がおこなわれたためです。
今泊という名前は、今帰仁ムラと親泊ムラの一文字づつを採って名づけられました。


今泊の神ハサギは2箇所ある、こちらが旧今帰仁ムラのハサギ
旧今帰仁ムラの神ハサギです。




文字のない自然石の石敢當は珍しい
自然石の石敢當(いしがんとう)で、たいへん珍しいもの。人の形にも見えます。


かつての宿道、行く先はエーガー(親川)
かつての宿道(しゅくみち、すくみち)は、今の国道のようなもの。最近、琉球石灰岩で舗装整備されました。
これから、今帰仁グスクへの登城道である、ハンタ道へと向かいます。


運天集落と古墓は、「桜の季節にガイドとめぐる今帰仁の史跡」のCコースです。ガイド約10人で歩いてみました。

写真でコースをご紹介します。

運天港から古宇利大橋をながめる
Cコースのスタート地点から見た古宇利大橋。


運天港から古墓群が山腹に見える。
山腹を削って造った墓群が見えます。


大北(うーにし)墓には第2監守時代の監守たちが葬られている。
大北(うーにし)墓には、第2監守時代の監守たちやアオリヤエが葬られています。別名按司墓。

元は、今帰仁グスクの麓(ふもと)のウツリタマイにあったものを、1761年に今帰仁王子(十世宣謨、せんも)が拝領墓として建造したものです。
岩をくり抜いて造ったりっぱな墓で、今帰仁村指定の文化財です。


大戦中に魚雷艇を格納した穴が今も残っている。
道の脇に穴が掘られています。中は塞がっていますが、大戦中に魚雷艇を格納した穴です。今でも何ヵ所か残っています。運天港には日本軍の魚雷艇の基地があったのです。


ウケメービラと呼ばれる坂。
ウケメービラと呼ばれる坂道です。薩摩軍が運天港に上陸した(1609年)とき、進軍を阻むために、粟の粥(かゆ)を煮たぎらせてこの坂に流したと伝えられています。ウケメーは粥のこと、ビラは坂道の意。

坂道を登って移動しますが、今は階段状に整備されています。



源為朝の上陸碑
為朝上陸碑の書は東郷平八郎による
源為朝の上陸碑です。書は東郷平八郎によるもの。下のほうには、国頭郡教育部会と刻まれています。

日琉同祖論とは、日本と琉球は同じ始祖から始まったと言う考えですが、為朝上陸碑の書の主から、軍国主義の臭いもしてきます。


百按司墓は大勢の按司の墓と言う意味。
百按司墓(ムムジャナハカ)とは、大勢の按司が葬られた墓の意味です。『中山世譜、ちゅうざんせいふ』に「監守貴族」と記述があるので、第一尚氏の監守貴族が葬られていると考えられています。
中には北山王の墓として拝む人たちもいるということです。

歴史文化センターには、第一墓所にあった漆塗りの木棺が修復され、展示されています。
今帰仁村指定の文化財です。


百按司墓の特徴ある姿
百按司墓の中にある厨子甕
百按司墓の特徴ある姿です(上)。中をのぞくと厨子甕が見えました(下)。


百按司墓にある大きな鍾乳石。
墓の上には大きな鍾乳石が見えます。


運天港展望台からのながめは絶景です。
展望台からのながめは絶景です。晴れの日には、与論島まで見ることができます。長い橋は古宇利大橋。


ティラガマは運天地区の拝所でもある
為朝の手形と伝えられている岩のくぼみ
ティラガマは自然にできた洞窟です。運天地域の拝所ともなっています。洞窟内には為朝の手形と伝えられる岩のくぼみがあります。


運天トンネル
運天トンネルは、大正13年(1924年)に竣工しました。急な坂道を登って往来していた人々にとって、恵みのトンネルでした。


運天の湧き水
かつては水田に引いた水が今も湧いています。


運天のアサギは軒が低く造られている
運天のアサギです。かつてはノロや神人(かみんちゅ)が祈願しました。

あけましておめでとうございます

謹賀新年

今年もよろしくお願いいたします。

清風高校のみなさんをご案内した3日間

今帰仁グスク学ぶ会の会長から見学前の挨拶
グスクをご案内する前に、今帰仁グスク学ぶ会の会長から挨拶と注意事項が話されます。


毎年、秋に修学旅行で今帰仁グスクを訪れるのが、清風高校のみなさんです。3日間、一日10名のガイドがご案内します。

ガイド事務局の作成した5分刻みのスケジュール表に従って、案内を進めていきます。
グスクの面積は大きいものの、案内ポイントは限られていますから、どうしてもぶつかることがありますが、臨機応変に案内をしていきます。

限られた時間内にガイドするので、不十分な点もあるかと思いますが、まずは、想い出深い修学旅行になれば幸いです。この思いは、ガイド一人一人の願いでもあります。

ご案内が済んだ後は、バスの出発をお見送りします。最後に反省会をおこない、状況を確認します。

清風高校のみなさん、また来年も、ご来城をお待ちしております。



清風高校出発を、お見送りします
ご案内が終って、出発を待つひととき。後に見える山はクバの御嶽。



案内前の入念な打ち合わせをおこないます
当日の朝、入念に打ち合わせをおこないます。これで、ガイドの意気がぴったり合って、臨機応変にガイドすることができます。

谷へ延びている石積みが見える

今帰仁グスクの御内原から、谷へ延びる石積みが見えました。

谷へ延びる石積み
志慶真川の谷へ向かって石積みが延びているのが見えました。水揚げ場とされる石積みなのでしょうか。

見える場所は、御内原で主郭へ少し寄ったところです。

今帰仁グスクは、これからも新しい石積みが見つかることでしょう。

リュウキュウコノハズクOtus elegans - YouTube.jpg
暑い太陽が西に落ちると、今帰仁村では、どこからともなく「コホッコホッ」という鳴き声が聞こえてきます。リュウキュウコノハズクです。フクロウの仲間で全長22cmくらい。

夜が更けると、あちこちで鳴き交わしているのが聞こえてきます。今帰仁村(なきじんそん)の夏の風物誌でもあります。生息域は奄美大島や沖縄本島内と広く、よく似た種類のコノハズクは日本の本州や北海道にも見られるようです。

夜道を歩いていて、急にこれと出会って少しびっくりした経験があります。電信柱に泊まっていたりと、意外と身近に存在します。


リュウキュウコノハズクは夜行性で撮影しにくいので、画像をお借りしました。おきなわカエル商会のYouTube動画より。

動画は以下から見ることができます。


刻々と移り変わる今帰仁の朝焼け

今帰仁グスクのある今帰仁村(なきじんそん)は、朝焼けが独特の美しさで見られます。

夏の7月ころは、古宇利島(こうりじま)の方向から太陽が上り、刻々と移り変わる雲に、朝の光が映えています。今帰仁の見どころの一つです。

少し早起きして5時過ぎくらいから、朝焼けをながめてみましょう。撮影した時間は5時50分ころです。

今帰仁の朝焼け1
やや丸く見えるのが古宇利島


今帰仁の朝焼け2
今帰仁の朝焼け3
今帰仁の朝焼け4
風車のある写真は夕焼けです。19時45分ごろ撮影。


今帰仁の朝焼け5

今帰仁グスクのフクギ

今帰仁グスクの主郭には、フクギ(福木)が2本あります。大木で樹齢はかなり古いと思われます。

今帰仁村内では、フクギの花が咲いているので、グスクのも咲いているだろうと見に行きましたが、まだ咲いていませんでした。グスクは高台なので、気温が低いためだろうと推測します。

現在のフクギのつぼみです。

フクギ1

昨年の6月に撮影したフクギです。地面に散り敷いている白いものがフクギの花です。

フクギ2

本部町(もとぶちょう)備瀬(びせ)のフクギ並木は、ガイドブックにも掲載されていて有名ですが、今帰仁グスク直近の集落、今泊(いまどまり)には屋敷を囲むフクギが残っています。

静かなたたずまいを残す今泊集落は知る人ぞ知る歴史の残るところ。これからは、今泊のフクギも訪れる人が増えるでしょう。


今泊集落のフクギです。

今泊のフクギ
ちなみに、フクギの樹皮は黄色い染料が採れる有用樹です。フクギは台風や塩害にとても強いので、フクギで囲まれた家は台風にも守られるのです。



「イザイホー」のフィルム寄贈-沖縄タイムス.jpg

幻の祭祀(さいし)となった久高島の「イザイホー」はあまりにも有名だが、そのフィルムが浦添市の国立劇場おきなわに寄贈された。

寄贈したのは撮影した映画監督の野村岳也さん。「将来フィルムが傷めば、祭りそのものが失われることになる」と寄贈の理由を述べた。

イザイホーは久高島で生まれ育った30?41歳の女性が祭祀集団に入るため12年に1度、4日間の本祭を中心に1カ月余りかけて行われていた祭祀。担い手不足などから1978年が最後の祭祀となった。

この記録映画「イザイホー」は時間約50分。映画を撮る前1ヶ月くらいは、カメラを向けず久高島住民と親しくして過ごし、信頼関係を築いたという。

1966年の撮影だが、監督の野村さんが「島の秘祭の映像を広く世間には広めたくない」という住民の暗黙の意思を尊重し、2007年まで試写会を除き一般公開されていなかった。


国立劇場おきなわでは、6月19日午後2時から、映画などの無料鑑賞会を予定している。


沖縄タイムス | 秘祭「イザイホー」のフィルム寄贈

今帰仁はアカショウビンの鳴き声が響く

今帰仁グスクのある今帰仁村(なきじんそん)では、アカショウビンの鳴き声が響いています。

アカショウビンは渡り鳥。独特の鳴き方で「キョロロロロー」と鳴くので、すぐにわかります。ところが、姿はなかなか見せないので撮影ができません。


アカショウビンの巣立ったばかりの雛鳥 - 今帰仁城跡周辺の自然からアカショウビンのひな鳥の写真を掲載させていただきます。
 
アカショウビンのひな鳥

親鳥は体全体がオレンジ色をしています。 アカショウビンの鳴き声を聞いたら捜してみてください。

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