伝統行事 門中による今帰仁上り

今帰仁上り金城門中500
今帰仁上り金城門中02-500
門中(むんちゅう)と呼ばれる親族一同が今帰仁グスクを詣でる、今帰仁上り(なきじんぬぶい)は、1800年代に始まったとされる伝統行事です。

旧盆が終わると今帰仁上りが始まります。今年真っ先にグスクを詣でたのは、糸満の金城門中。北山王攀安知(はんあんち)の次男の子孫です。

攀安知は中山軍に滅ぼされ、難を逃れた次男が身元を隠すため金城と名を変えて生き延びました。潮平という集落は、かつてはムラ全体が金城姓だったといいます。

潮平集落では、戦前は畳表に使うイグサを、その後はキビを栽培したようです。潮平の名は、初め製塩業を営んだからと思われます。

今帰仁グスク 空の風景

グスクの空01-500
グスクの空02-500
グスクの空03-500

10周年記念講演会

10周年記念講演会1
金装宝剣千代金丸のレプリカが創られたいきさつや、日本刀が鉄の塊りから打ち出されるビデオなど、初めて聴くことばかりでした。

中山(ちゅうざん)が北山を破り、琉球を統一した力は鉄でした。鉄は農具になるし、武器にもなります。



10周年記念講演会2
海底に眠る陶磁器や船の碇(いかり)などを調査するきっかけは、今帰仁今泊の仲村渠(なかんだかり)氏の陶磁器コレクションでした。仲村渠氏は海岸に打ち上げられた陶磁器を集めています。


講演会の講師は、今帰仁村歴史文化センター館長の仲原弘哲氏、沖縄国際大学講師の宮城弘樹氏。お二人の講演は満席の聴衆でした。今帰仁グスクを学ぶ会の設立と運営に深く関わった、この二人がいなかったら、今の学ぶ会はありませんでした。

平郎門の大石を運んだのは私です!

平郎門の大石を運んだのは私
今帰仁グスクの正門は、平郎門と呼ばれます。この平郎門は約50年前、昭和30年代に、琉球政府によって修理されました。下の写真はその時の様子です。画像が不鮮明ですが、やぐらを組み、滑車を使って大石を引っ張りあげているところです。

平郎門修理 琉球政府
ガイドの岸本さんが、当時修理作業に従事した方から、石のあった場所を聞くことができました。石はグスクの近くにあり、トラックで運んだそうです。

下の写真は、石の場所を示しているところ。石は平郎門と志慶真乙樽の歌碑に使われました。歌碑は階段を上げるため、米軍の四輪駆動車を使い、片輪を路肩に乗せてバックで登ったとのことです。

平郎門の石を運んだのは私
こうした地元の方々の苦労によって、現在の平郎門があるわけです。奇しくもガイドのメンバーが平郎門修復に従事した方とめぐり合い、貴重な証言を聞くことができたのでした。

こはおの御嶽(クバの御嶽)最近の姿

クバの御嶽1

今帰仁グスクのすぐ近くにあるクバの御嶽(うたき)が、日本国の名勝に指定されます。琉球の時代から現代まで、信仰の聖地とされている御嶽です。

高さ約180mの丘全体が御嶽とされています。

クバの御嶽2
クバの御嶽3

記念講演500.jpg

今帰仁グスクを学ぶ会は創設以来10周年を迎えます。当日は記念式典と記念講演会がおこなわれます。

日時: 2015年8月1日(土)
午後3時から記念式典
午後3時50分から記念講演会

演題は
1.「宝剣千代金丸と北山滅亡」(題は変更になったため画像と異なります)。講師:仲原弘哲氏。
2.「沖縄の水中文化遺産」。講師:宮城弘樹氏。

講師は今帰仁グスクを学ぶ会の創設と運営に深く関わった宮城弘樹氏と仲原弘哲氏。
入場は無料です。

テンチジアマチジの御嶽
クバの御嶽に遥拝所から祈るひとたち
今帰仁城内のテンチジアマチジと呼ばれる御嶽(うたき)、すぐ近くにあるクバの御嶽。この2つの御嶽が日本国指定の名勝に追加されます。

琉球新報が報じました。

写真上がテンチジアマチジの御嶽。下はクバの御嶽へ遥拝所から祈るひとたち。
これら2つの御嶽は、こんにちでも信仰の対象となっています。

テッポウユリ(鉄砲百合)が咲き始め

今帰仁グスク階段付近のテッポウユリ
今帰仁グスクで、最初に咲くのが在来種のテッポウユリ。純白で芳香があります。
これからの季節、グスク内で花が見られます。


今帰仁グスク大庭(うーみゃー)のテッポウユリ

今帰仁グスク旧道を上がった所のテッポウユリ

今帰仁グスク御内原のテッポウユリ

名刀千代金丸がついに公開されました

攀安知(ハンアンチ)王の名刀千代金丸
今帰仁グスクにまつわる、名刀千代金丸が、歴史分化センターで公開展示されています。レプリカですが、精緻な作りとその光り輝く姿は、一見の価値ありです。

当然ながら、写真撮影は出来ませんので、Facebookから転載しています。

シイナグスクを訪ねました

シイナグスクの標識
シイナグスクを示す県道72号線にある標識。
国道505号線にも標識があり、どちらからも行ける。


右側の高台にシイナグスクがある
県道72号線側から行く場合は標識を曲がってから右側へ、細い道をまっすぐ進むと間違うから注意。


シイナグスクの標識2
シイナグスクまで200mの表示。写真でみて道路右側には、産業廃棄物処理場の看板がある。


シイナグスク入口にはパイン畑
入口にはパイン畑。畑に沿って細い道を入る。自動車でも入れる。


いよいよグスクの中へはいります
いよいよグスクの中へ。写真で白く見える看板は、無断造成禁止を伝えるもの。


グスクの中には奇岩が多い
奇岩が目に付く。カルスト台地の上に土が乗っかった感じがする。通路は意外に平坦で歩きやすい。グスクとして造成されているようだ。


石垣が見える
石積みが見えてきた。明らかにグスクの造営がわかる。石は古生代石灰岩で、今帰仁グスクと同じ石だが、四角いものはない。この辺は層状石灰岩ではないのかもしれない。


石垣の中へ入る
石垣の中にも切り立った岩がある。石垣を乗り越えて中にはいる。最初の郭(かく)だろうか。



水の枯れた古井戸
古井戸は水が枯れている。日照りのときに水が枯れたので、シイナグスク造営をあきらめて今帰仁グスクへ移動した、と伝えられている。


地面は平坦にされている
岩が路頭しているが地面は平坦にならされている。



ムサシアブミの花
ムサシアブミの花を見つけた。


文化財撮影シイナグスクから羽地内海の眺望800.jpg
シイナグスクから羽地内海を望む。文化財係り撮影の写真をお借りしました。今回、木々が伸びていて遠くを見ることは出来ませんでした。


今帰仁村文化財がきれいに草刈したばかりで、シイナグスク探索は今がチャンス。あと2?3週間すると草に覆われてしまうでしょう。

前の10件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

過去の記事