今帰仁の史跡めぐりAコースの見どころ

シニグンニ、謎の石積み
今帰仁の史跡めぐりAコースの見どころをご紹介します。
写真上は謎の石積み?シニグンニです。

シニグ祭りに関係のある祭祀施設との見方が有力ですが、この地域の今泊集落にはシニグ祭りは保存されていません。今泊誌によると、トントトトン祭りと呼ばれた厄払いの儀式があったようで、その出発点とされています。

写真手前には、円形の石積みが、右奥には正方形の石積みがあります。さて、どのように使われたのでしょうか?

円形の石積みは、円陣を組んで踊るシニグ祭りを思わせます。
正方形の石積みは、合図ののろし(狼煙)を上げる場所にも見えます。


写真下は円陣になって踊るシニグ踊り。神にささげる踊りです。本部町具志堅集落に保存されています。

具志堅のシニグ 円陣になって踊る

ミームングスクは物見台写真上は、ミームングスクと呼ばれる物見台です。志慶真川へ突き出た高台にあります。古宇利島からの、のろしの合図も受け取れ、今帰仁グスクの志慶真城郭(しげまじょうかく)へも合図を送れる位置にあります。
ミームンとは、「見る」の他に、「新しい」の意味もあります。


史跡散策ツアーBコースの見どころ

今帰仁ノロ殿内のリュウガンの大木
史跡散策ツアーBコースの見どころをご紹介します。

写真は今帰仁ノロ殿内(どぅんち)のリュウガンの大木です。薩摩の役人から、リュウガンの木はないかと尋ねられ、ない、と返事をしてしまったため慌てて切り倒した。との伝承があります。今帰仁ノロのご主人仲尾次さんが、説明してくださいました。


下の写真は、志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の墓です。志慶真乙樽は伝説の美女ですが、墓もあり、子孫の方もおられます。実在の人物でもあったのです。この墓は志慶真川の下流にあります。

志慶真乙樽の墓は志慶真川の下流にある

自然石の石敢當
写真は自然石の石敢當です。石敢當は魔よけで、直進する魔を石敢當に当てて魔力を粉砕します。道の突き当たりや交差点に取り付けますが、このような自然石は非常にめずらしいものです。
ガイドは富田(オレンジのパーカー)。
15.01.24 Cコース(1)-500.jpg
Cコースにご参加いただいた皆様。1月24日。


Cコースは運天集落と古墓。今帰仁グスクから少し離れていて、一見地味のようですが、最も大事なコースです。

運天港は今帰仁グスクにとって無くてはならない港。大型船が発着できる天然の良港だからです。
14世紀後半にかけて、今帰仁グスクから中国、当時の明国へ18回の朝貢をおこないました。
朝貢とは、貢物を携え貿易品を満載して使節団を送る、儀礼と交易の方法でした。朝貢貿易とも言われます。

運天魚港
運天漁港から古宇利大橋を見る。

ウーニシ墓
大北墓。ウーニシ墓と読みます。今帰仁グスクに派遣された監守一族の墓です。
監守(かんしゅ)は首里の王族ですから、墓も巨大で、岩盤をくり抜いて造っています。
元は今帰仁グスク近くにありましたが、運天港に移設したのは墓参りに便利なためでしょうか。今帰仁上り(なきじん詣で)の人びとも、この墓を参拝します。


さくら茶を うさがみそーれ

桜茶のサービスは学ぶ会がおこなっています
さくら茶をお召し上がりください。桜まつりの期間中、午前10時から午後2時まで、桜茶のサービスをおこなっています。提供は、「今帰仁グスクを学ぶ会」ガイドの団体です。

ピンクのユニフォームを着て、お茶の接待をしているのは、ガイド歴10年の渡部さん。
チケット売り場の奥の休憩所が、ここグスク交流センターです。ガイドの受付もここで承ります。

今帰仁グスク桜まつりは、2月1日(日)まで開催中です。

チケットもぎり受付が移動しました

チケットもぎり受付は移動しています
入城チケットの半券を切る、チケットもぎり受付が移動しました。看板猫も、さびしそうです。

写真手前の石畳に番号がふられています。発掘調査が始まるので、仮設通路を通って入城します。

正門の前の通路は、どのようになっていたのか、興味深いところです。以前、鳥居の撤去の際には、1m下に石畳が見られたとの報告があります。

正門付近は、近年、変えられた可能性があるようです。グスク時代の正門とその付近の状態が、明らかになるかもしれません。

1月11日(日)の桜の開花状況

1月11日の桜、平郎門を入って2本目は早く咲きます
1月11日の桜、平郎門を入って2本目は早く咲きます
写真では、咲いているように見えますが、全体としてまだまだ、つぼみが硬いです。

桜まつりが17日(土)から始まりますが、見ごろになるのは2月に入ってからになりそうです。

桜の開花は、沖縄では旧暦1月1日に向けて咲きます。今年の旧暦元旦は2月19日です。もちろん、必ずそうなるわけではなく、一つの目安です。

現在のつぼみの状況から見ると、2月上旬が見ごろではないかと予想します。
木によって開花にばらつきがあります。昨年の台風の影響もありますので、すべての木が一度に満開というわけにはいかないようです。
これから、開花状況を更新していきます。

桜が咲き始めていますが、、

咲き始めた今帰仁城跡の桜1月4日
咲き始めた今帰仁城跡の桜1月4日(2)
今帰仁城跡の緋寒桜は咲き始めていますが、この木以外はまだ、つぼみが見られません。
今年の開花は、少し遅れそうな気配です。

満開は2月上旬くらいかもしれません。

山内範正さん
(画像をクリックすると拡大します。)

「今帰仁グスクを学ぶ会」ガイドの山内範正さんが、新聞紙上で戦争体験を語りました。

正門前で発掘調査がおこなわれています

正門前で発掘調査しています
写真のように、正門の横で発掘調査がおこなわれています。

石が敷いてある部分が、グスク時代の道なのでしょうか?

教育委員会の方の説明によると、これは新しいもののように見えるということです。さらに深く掘り下げるかもしれません。

正門前の昔の道は、現在の道よりおよそ1m下にある、と聞いています。
今度の調査で新しい発見があるかもしれませんね。


ツワブキ咲く旧道
今帰仁城跡は、いまツワブキの花でいっぱいです。花を見ながら歩いてみました。
写真上は、旧道です。旧道は今帰仁グスクが栄えていたころ、グスク内外の人々が上り下りした道です。

石の並びが、凹凸が激しく歩きにくいです。北山王が城主であった14世紀から15世紀のはじめまでの三山の時代には按司(あじ:豪族)の抗争があったため、敵兵が入り込んだ場合に備えて、わざと上りにくい構造に造ったとされています。

それにしても、中山(ちゅうざん:首里)が琉球を統一した後も、平坦に直すことはなかったのでしょうか?
今では、上る道は、新しい参道である七五三の階段がありますから、ご安心ください。




ツワブキに飛来したミツバチ

カラウカーに咲くツワブキ
カラウカーです。カラウカーは、自然石のくぼみを利用した水を溜めるところです。言い伝えによると、女官が髪を洗ったとされますが、水の量からそれは無理なので、宗教儀式の清めのことではないでしょうか。朝、野鳥が水を飲んだり、水浴びをしていました。


野鳥が飛来したカラウカー



北殿跡に咲くツワブキ
北殿跡に石の香炉が一つ、ひっそりと置かれています。かつては、今帰仁ノロと神人(かみんちゅ)たちが宗教行事をおこなったところです。琉球の時代には、宗教行事(祭祀:さいし)は、国にとっても、人民にとっても欠かせない重要なものでした。

明治期の廃藩置県とそれに続く琉球処分で、祭祀制度は廃止されました。 社会の形態も農耕社会から変貌し、自由な時代となりました。今では、今帰仁ノロも高齢となり、祭祀をつかさどる神人も不在です。


拝みの井戸を覆うように咲くツワブキ
ツワブキが覆うように見える崖沿いの井戸は、拝みのための井戸で浅く、水はありません。気づく人はほとんどいない場所ですが、石積みがきちんと作り込まれているのを見ると、グスクの栄えた琉球の時代には、はっきりした目的があった部分と思われます。


志慶真城郭を見下ろすツワブキの花
裏門を守る兵士が住んだとされる志慶真城郭を見下ろす、眺めのよいポイントです。谷へ延びる石積は、水揚げ場の跡ではないか、と考えられています。



城内上の御嶽の前に咲くツワブキ
城内上の御嶽(うたき)です。上の御嶽という表記は、首里王府が編纂した書物にあります。首里城としても重要な御嶽で、首里王府の上級ノロによって、琉球王国の存続を祈願した場所です。

最後の北山王のとき、中山(ちゅうざん)に敗れた攀安知(はんあんち)王は、名刀千代金丸で霊石を切り、志慶真川に投げ捨てて自害したと伝えられます。北山が滅亡した後、中山によって琉球全土が統一され、琉球王朝の時代が始まります。

別名テンチジアマチジと呼ばれるこの御嶽は、北山滅亡の目撃者でもあります。
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