中村家住宅へ行ってきました

研修旅行で、中村家住宅と中城城跡へ行ってきました。

今回の投稿は、中村家住宅の記録を画像でご報告します。


中村家住宅で記念撮影
全員で記念撮影。後方左端は、中村家の御当主。ガイドしてくださったのは、比嘉栄吉さん(前列右から3人目)。



母屋と客間の屋根瓦の違いがある
みごとな赤瓦が葺かれていますが、よく見ると、左右で違いがあります。右は客間で、雨端部分に化粧瓦が使われているのに対し、左の母屋にはそれがありません。



中村家住宅の火の神
台所の火の神(ひぬかん)。本来はニライカナイへ通じる神だそうです。



フール
フール。豚を飼っていた場所。トイレでもありました。



中村家住宅のシーサー
魔よけのシーサーが、にらみを効かせています。


中村家の先祖は、500年前にさかのぼる上層農家で、日本の庄屋に当たります。1700年代には、地頭職に任命されています。

中村家住宅は、当時の上層農家のすべての要素が残っている極めて珍しい建築で、国指定重要文化財です。

中村家住宅ウェブサイト http://www.nakamura-ke.net/

(現場の詳細は、追って投稿の予定です。)

桜の季節の史跡散策ツアー 参加者募集

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「桜の季節にガイドとめぐる今帰仁の史跡」ツアーの参加者を募集します。

◎コースはA、B、Cの3コースあり、ベテランのガイドがご案内します。

◎参加料金はお一人500円と通常の半額。

◎各コースとも定員20名。定員に達し次第締め切ります。

お申し込みは
 電話 : 080-6490?8250(ヤマノウチ)
メール : manabukai@nakijingusuku.com


詳しい内容は以下をご覧ください。


日時 
2015年(平成27年)1月23日(金)/ 24日(土)/ 25日(日)
午後2:00 集合・受付
午後4:30 終了・解散

コースと特徴 
Aコース・ハンタ道と周辺遺跡 
世界遺産に登録された今帰仁城跡周辺に広がる、集落遺跡や祭祀施設を訪ねるトレッキングツアー

Bコース・今泊集落の散策
今帰仁グスクへの登城道ハンタ道から、今帰仁城と関係の深い今泊の伝統的集落を訪ねるツアー

Cコース・運天集落と古墓
琉球の歴史と深い関わりをもつ運天港とその集落、そして周辺にある歴史的な古墓を巡るツアー

参加費
おひとり 各日 500円(保険料等含む)

お申込方法
必要事項<希望日・希望コース、氏名、住所、電話、参加人数>を事務局まで<電話・メール・FAX>にてお申し込み下さい。

お申込先
今帰仁グスクを学ぶ会
[TEL/FAX] 0980-56-4406(案内中で不在のときは下記ケータイに)
[当日連絡用] 080-6490-8250(ヤマノウチ)
[メール] manabukai@nakijingusuku.com
[住所] 〒905-0428 沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊5101番地 今帰仁村グスク交流センター内


■注意事項
○雨天の場合 【中止】。
○どのコースも、4kmほど歩きます。 歩き慣れた靴でご参加下さい。
○Bコース・Cコースは、お客様の車での移動となります。
 詳しくはスタッフまで。

秋なのに桜が咲いています

時期はずれのさくら1
時期はずれのさくら2
時期はずれの桜が、まだ咲いています。葉も出ているので、どうしたことでしょうか?街路樹の桜も咲いているを見かけたので、今帰仁グスクだけではないようです。

空の雲を見ると南国オキナワも秋。オオシマゼミの声もそろそろ少なくなり、伝統行事である今帰仁上りも終盤に近づいています。

時期はずれの桜の開花は、今の気候と春先が似ているせいかもしれません。

今帰仁城跡の桜が咲いています?

今帰仁グスクの桜 時期外れに咲く1
今帰仁城跡の桜が時期外れに咲いています。台風後の狂い咲き現象ですが、それにしてもよく咲いています。


この桜は中国原産の緋寒桜ですが、寒緋桜とも呼ばれています。悲観みたいで語呂が悪い、という意見があるためのようです。


本来の開花期は1月中旬から2月上旬です。城壁と桜の取り合わせが、なぜか絵になります。今帰仁グスクのお膝元である今泊集落が昭和期に植栽した桜ですが、今では日本一早い桜の名所となっています。


今帰仁グスクの桜 時期外れに咲く2

今帰仁グスクの桜 時期外れに咲く3

ハンタ道の生き物と植物たち

ハンタ道に落ちた柿
リュウキュウガキ(有毒)


ハンタ道と周辺の生き物と植物をご紹介します。最近歩いたときに見つけたものです。植物は変わらない種類もあれば、季節がくると目だって見つかるものもあります。

中には有毒植物もありますから、触らないよう、注意が必要です。



ホルトノキの板根
ホルトノキの板根 板根は根が板状になったもの。亜熱帯の森に発達しやすい。


落ちた実
オキナワキョウチクトウの実(有毒)


アカギの実
アカギの実


観葉植物
セトクリーシア(ムラサキゴテン) 一時は観葉植物でしたが、野生化しています。


オオシマゼミ
オオシマゼミ 9月から10月が最盛期。


オオジョロウグモ
オオジョロウグモ 咬まれるとすごく痛い。クモはだいたい毒を持っています。


蝶
リュウキュウアサギマダラ 水色のもようがきれい。



◎ハンタ道をもっと見るなら: ハンタ道を歩く http://nakijingusuku.com/hanta/

ハンタ道は琉球時代に使われた登城道

ハンタ道の清掃1
わき道には航海安全祈願のウーニーもある。


ハンタ道は、琉球時代から大正期まで使われた登城道です。今では歩く人もいないため、夏場は草に覆われてしまいます。

これから来られるお客様が登れるように、草刈清掃をおこないました。
ガイド有志と教育委員会の清掃のみなさま、お疲れ様でした。


ハンタ道の清掃2
巨大なガジュマルのような樹木。かつての集落跡でもある。



ハンタ道の清掃3
天然の石畳の道。明治の探検家 笹森儀助が大理石のようだと形容したところか?



ハンタ道の清掃4
尽きることのない湧き水はエーガー(親川)と呼ばれ、拝みの場でもある。台風後で木の枝が散乱。



ハンタ道の清掃5
ツマベニチョウがサンタンカに飛来。


今帰仁グスクの石灯ろうとショウキズイセン
写真奥の石灯ろうが新しいもの


今帰仁グスク主郭にある石灯ろうです。かなり摩耗していますが、歴史上重要な実物です。 

もともと琉球に存在しない石燈籠が今帰仁グスクにあるのは以下の理由があります。

この石灯ろうは、今帰仁監守十世の向宣謨(しょうせんも)が、薩摩出張の折に持ち帰った石で作らせたとされています。 

一番新しい灯ろうには「奉寄進」と刻まれていて、火の神の祠に寄進しています。石灯ろうのかたちが少し稚拙に思えるのですが、薩摩から持って来た限られた石を組み合わせたためでしょうか。


注)尚家の「尚」の字は直系のみが使用し、傍系は「向」と書き、しょうと読んだのでした。


この石灯ろう、多くの方は気がつかずに通り過ぎるのですが、今の時期にはショウキズイセンが色どりを添えてくれます。

大隅の城壁が崩落

崩落した今帰仁グスク、大隅の城壁1

今帰仁グスクの大隅の城壁が崩落しました。夜間だったため、人的被害はありませんでした。崩落の原因は調査中で、修復にはかなりの時間がかかりそうです。しばらくは、大隅の城郭へ立ち入りができません。大隅郭以外は、入れますので見学に大きな支障はありません。

今帰仁グスクのガイド始まって以来の崩落です。お客様とは崩落の話題がしばしば出る事はありましたが、城壁の崩落が現実のものとなりました。

今帰仁グスク、崩落した大隅の城壁2

硬い石灰岩を野面積みで積み上げた城壁ですから、経年変化により自然崩壊の恐れがあります。高い城壁には近づかないほうが安全です。

城壁に張り付くようにして、写真を撮っていたお客様が以前おられましたが、今考えるとひやりとします。
幸い、今回の崩落現場はあまり人の入らない郭の側へ崩壊したので、表向きには崩落が目立ちません。

崩落した今帰仁グスク、大隅の城壁3
表側からはわずかに城壁の欠けた部分がわかる程度。


今後は、今帰仁村の出来る限りの早い対応が望まれます。


伝統の行事、門中の今帰仁上り

今帰仁グスクのカラウカーと呼ばれる拝所で祈願する門中のひとびと

門中による「今帰仁上り」という伝統行事が始まっています。旧盆が終わり秋にかけて、門中と呼ばれる男系親族の一団が、今帰仁グスクを中心に、聖地めぐりをおこないます。これが「今帰仁上り」です。沖縄語では「なきじんぬぶい」と言います。

今日は、いくつもの門中が、観光バスで今帰仁グスクへ訪れました。ガイドの合間をぬって後ろのほうで、撮影させてもらいました。

門中のひとたちは、供え物、線香、ウチカビなどを風呂敷に包んで、聖域を目指します。観光のお客様とは、持ち物が違うのですぐにわかります。


今帰仁グスクのソイツギの御嶽で祈願する門中のひとびと


祈願する内容は、一門の繁栄や無病息災などでしょう。拝所や御嶽(うたき)に供え物や線香を配置すると、年長者の合図で全員が手を合わせます。

祈願する拝所や御嶽は、門中ごとに少し異なり、伝承によって決まっているようです。5年に一度のわりで、この行事をおこなう門中が多いようです。



門中とは、元々は士族(武士)が組織したのが始まりです。首里王府に仕える士族が系図を作り、王府に提出します。門中に名を連ねていなければ、王府に仕えることができませんから、系図は履歴書や身分証明のようなものです。こうして、門中の結束は非常に固くなっていきます。後に、門中組織は農民階級にも広まっていきました。


今帰仁上りの起源は1800年代とされています。1879年には琉球処分がおこなわれ、琉球王国は存亡の危機にさらされます。そのような激動の時代に始まった行事だとすれば、琉球士族が自らの拠りどころとして、今帰仁詣でを位置づけたのかもしれません。

今帰仁グスクは聖地!?

今帰仁グスクの拝所で祈願する人びと
写真は今帰仁グスクの拝所で祈願する人びと。


今帰仁グスクは聖地でもあり、現代沖縄の人びとも詣でるのです。お客様にご案内すると、少し驚かれます。

今帰仁グスクが北山王の居城から、どのようにして聖地になったのか調べるのは、これからの課題です。それはさておき、聖地として詣でる人びとが秋になると続々と登城します。


御嶽(うたき)や拝所を詣で祈願することは、現代の人々にとっても大切なことです。古の琉球の神々は、いまでも同じ神々で、変わることがありません。

その古の神々に詣でることは、現代沖縄の人々にとって、精神的よりどころであり、自分のルーツを再確認することにもつながります。 

今帰仁グスクを中心とした聖地巡りは、日本ではなく琉球へと道が開けているような気がします。


今帰仁城内下の御嶽(うたき)
城内下の御嶽(うたき)は首里王府がリストアップした御嶽の一つでソイツギとも呼ばれる。


上の写真で、香炉に黒い線香と米が、手前の石の上にはさい銭が置かれています。今しがた祈願が終わった御嶽です。

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