今帰仁城跡の桜が咲いています?

今帰仁グスクの桜 時期外れに咲く1
今帰仁城跡の桜が時期外れに咲いています。台風後の狂い咲き現象ですが、それにしてもよく咲いています。


この桜は中国原産の緋寒桜ですが、寒緋桜とも呼ばれています。悲観みたいで語呂が悪い、という意見があるためのようです。


本来の開花期は1月中旬から2月上旬です。城壁と桜の取り合わせが、なぜか絵になります。今帰仁グスクのお膝元である今泊集落が昭和期に植栽した桜ですが、今では日本一早い桜の名所となっています。


今帰仁グスクの桜 時期外れに咲く2

今帰仁グスクの桜 時期外れに咲く3

ハンタ道の生き物と植物たち

ハンタ道に落ちた柿
リュウキュウガキ(有毒)


ハンタ道と周辺の生き物と植物をご紹介します。最近歩いたときに見つけたものです。植物は変わらない種類もあれば、季節がくると目だって見つかるものもあります。

中には有毒植物もありますから、触らないよう、注意が必要です。



ホルトノキの板根
ホルトノキの板根 板根は根が板状になったもの。亜熱帯の森に発達しやすい。


落ちた実
オキナワキョウチクトウの実(有毒)


アカギの実
アカギの実


観葉植物
セトクリーシア(ムラサキゴテン) 一時は観葉植物でしたが、野生化しています。


オオシマゼミ
オオシマゼミ 9月から10月が最盛期。


オオジョロウグモ
オオジョロウグモ 咬まれるとすごく痛い。クモはだいたい毒を持っています。


蝶
リュウキュウアサギマダラ 水色のもようがきれい。



◎ハンタ道をもっと見るなら: ハンタ道を歩く http://nakijingusuku.com/hanta/

ハンタ道は琉球時代に使われた登城道

ハンタ道の清掃1
わき道には航海安全祈願のウーニーもある。


ハンタ道は、琉球時代から大正期まで使われた登城道です。今では歩く人もいないため、夏場は草に覆われてしまいます。

これから来られるお客様が登れるように、草刈清掃をおこないました。
ガイド有志と教育委員会の清掃のみなさま、お疲れ様でした。


ハンタ道の清掃2
巨大なガジュマルのような樹木。かつての集落跡でもある。



ハンタ道の清掃3
天然の石畳の道。明治の探検家 笹森儀助が大理石のようだと形容したところか?



ハンタ道の清掃4
尽きることのない湧き水はエーガー(親川)と呼ばれ、拝みの場でもある。台風後で木の枝が散乱。



ハンタ道の清掃5
ツマベニチョウがサンタンカに飛来。


今帰仁グスクの石灯ろうとショウキズイセン
写真奥の石灯ろうが新しいもの


今帰仁グスク主郭にある石灯ろうです。かなり摩耗していますが、歴史上重要な実物です。 

もともと琉球に存在しない石燈籠が今帰仁グスクにあるのは以下の理由があります。

この石灯ろうは、今帰仁監守十世の向宣謨(しょうせんも)が、薩摩出張の折に持ち帰った石で作らせたとされています。 

一番新しい灯ろうには「奉寄進」と刻まれていて、火の神の祠に寄進しています。石灯ろうのかたちが少し稚拙に思えるのですが、薩摩から持って来た限られた石を組み合わせたためでしょうか。


注)尚家の「尚」の字は直系のみが使用し、傍系は「向」と書き、しょうと読んだのでした。


この石灯ろう、多くの方は気がつかずに通り過ぎるのですが、今の時期にはショウキズイセンが色どりを添えてくれます。

大隅の城壁が崩落

崩落した今帰仁グスク、大隅の城壁1

今帰仁グスクの大隅の城壁が崩落しました。夜間だったため、人的被害はありませんでした。崩落の原因は調査中で、修復にはかなりの時間がかかりそうです。しばらくは、大隅の城郭へ立ち入りができません。大隅郭以外は、入れますので見学に大きな支障はありません。

今帰仁グスクのガイド始まって以来の崩落です。お客様とは崩落の話題がしばしば出る事はありましたが、城壁の崩落が現実のものとなりました。

今帰仁グスク、崩落した大隅の城壁2

硬い石灰岩を野面積みで積み上げた城壁ですから、経年変化により自然崩壊の恐れがあります。高い城壁には近づかないほうが安全です。

城壁に張り付くようにして、写真を撮っていたお客様が以前おられましたが、今考えるとひやりとします。
幸い、今回の崩落現場はあまり人の入らない郭の側へ崩壊したので、表向きには崩落が目立ちません。

崩落した今帰仁グスク、大隅の城壁3
表側からはわずかに城壁の欠けた部分がわかる程度。


今後は、今帰仁村の出来る限りの早い対応が望まれます。


伝統の行事、門中の今帰仁上り

今帰仁グスクのカラウカーと呼ばれる拝所で祈願する門中のひとびと

門中による「今帰仁上り」という伝統行事が始まっています。旧盆が終わり秋にかけて、門中と呼ばれる男系親族の一団が、今帰仁グスクを中心に、聖地めぐりをおこないます。これが「今帰仁上り」です。沖縄語では「なきじんぬぶい」と言います。

今日は、いくつもの門中が、観光バスで今帰仁グスクへ訪れました。ガイドの合間をぬって後ろのほうで、撮影させてもらいました。

門中のひとたちは、供え物、線香、ウチカビなどを風呂敷に包んで、聖域を目指します。観光のお客様とは、持ち物が違うのですぐにわかります。


今帰仁グスクのソイツギの御嶽で祈願する門中のひとびと


祈願する内容は、一門の繁栄や無病息災などでしょう。拝所や御嶽(うたき)に供え物や線香を配置すると、年長者の合図で全員が手を合わせます。

祈願する拝所や御嶽は、門中ごとに少し異なり、伝承によって決まっているようです。5年に一度のわりで、この行事をおこなう門中が多いようです。



門中とは、元々は士族(武士)が組織したのが始まりです。首里王府に仕える士族が系図を作り、王府に提出します。門中に名を連ねていなければ、王府に仕えることができませんから、系図は履歴書や身分証明のようなものです。こうして、門中の結束は非常に固くなっていきます。後に、門中組織は農民階級にも広まっていきました。


今帰仁上りの起源は1800年代とされています。1879年には琉球処分がおこなわれ、琉球王国は存亡の危機にさらされます。そのような激動の時代に始まった行事だとすれば、琉球士族が自らの拠りどころとして、今帰仁詣でを位置づけたのかもしれません。

今帰仁グスクは聖地!?

今帰仁グスクの拝所で祈願する人びと
写真は今帰仁グスクの拝所で祈願する人びと。


今帰仁グスクは聖地でもあり、現代沖縄の人びとも詣でるのです。お客様にご案内すると、少し驚かれます。

今帰仁グスクが北山王の居城から、どのようにして聖地になったのか調べるのは、これからの課題です。それはさておき、聖地として詣でる人びとが秋になると続々と登城します。


御嶽(うたき)や拝所を詣で祈願することは、現代の人々にとっても大切なことです。古の琉球の神々は、いまでも同じ神々で、変わることがありません。

その古の神々に詣でることは、現代沖縄の人々にとって、精神的よりどころであり、自分のルーツを再確認することにもつながります。 

今帰仁グスクを中心とした聖地巡りは、日本ではなく琉球へと道が開けているような気がします。


今帰仁城内下の御嶽(うたき)
城内下の御嶽(うたき)は首里王府がリストアップした御嶽の一つでソイツギとも呼ばれる。


上の写真で、香炉に黒い線香と米が、手前の石の上にはさい銭が置かれています。今しがた祈願が終わった御嶽です。

今帰仁グスクでクヮンソウが満開

今帰仁グスクのクヮンソウ1
今帰仁グスクで、クヮンソウが満開です。クヮンソウは沖縄語、和名はアキノワスレグサ(秋の忘れ草)、学名はヘメロカリス。

安眠の薬草として古くから利用されてきました。花を湯がいて、はちみつを混ぜたラッキョウ酢に漬けると美味です。花のオレンジ色は、カロテンが含まれていそうで、おかずの一品になりますし、生の花をそのまま食べるのも意外に美味しいです。

この花は一日花で、夕方にはしぼんでしまいます。翌朝、別の花が開花しますから、花の時期にはいつでも咲いているように見えます。10月くらいまで花を楽しめそうです。


今帰仁グスクのクヮンソウ2

少し早めのヒガンバナが咲きました

今帰仁グスクにヒガンバナが咲く
今帰仁グスクにヒガンバナ(彼岸花、別名はマンジュシャゲ曼珠沙華、学名はリコリス)が咲き始めました。彼岸のころ花咲くことからヒガンバナと呼ばれるようですが、彼岸には少し早い開花となりました。ツワブキの丸い葉の間から、まっすぐな花茎を伸ばし、ひげのように見えるのが雄しべです。

中国から伝わり、北海道から琉球列島まで広がった植物です。きれいな花ですが、植物体全部が有毒です。有毒を利用して、モグラやネズミを避けるため田畑に植えたとされます。

一方、有毒ゆえに、植えて繁殖させておき、飢饉のときに毒抜きして食べた救荒植物でもあります。食用植物なら、年貢として収めるため身近に残らないからです。やはり有毒のソテツを思わせる利用法です。


沖縄タイムスに学ぶ会のチニブ製作が掲載された
今帰仁グスクを学ぶ会は、ガイド活動のほかにも、今泊集落の景観保全の活動をおこないました。チニブと呼ばれる伝統的な竹垣を作り、フクギ並木に設置しました。

画像は沖縄タイムスWeb版に掲載された記事です。クリックで拡大します。

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