今帰仁グスクの海神祭(うんじゃみ)

2002年撮影の今帰仁グスクの海神祭(うんじゃみ)

今帰仁グスクの海神祭(うんじゃみ)は、旧盆が終わって亥の日をはさんでおこなわれて来ました。残念ながら今は見られませんが、再現してみました。


第1日目
ウーニーでの祈願

ハンタ原ウーニーとレコーラウーニーで祈願する。ウーニーとは舟のこと。


ハンタ原ウーニーは、自然石を舟に見立てたもの。今帰仁ウーニーと本部ウーニーの2つがある。

ハンタ原の本部ウーニー
ハンタ原の今帰仁ウーニー
今帰仁ウーニーの特徴は、石の上に細長く舟方のような溝があり、本部ウーニーは溝の上部が円錐形。この2つのウーニーから海が見え、ウーニーに向かうと、シバンティナ浜の方向を向いている。この石のウーニーの上で線香を焚いて祈願する。
祈願を終えると、今帰仁グスクへと向かう。


レコーラウーニーは、今帰仁グスク外郭にある2つの土盛り。長いほうが本部ウーニー、もう一つが今帰仁ウーニー。

今帰仁グスク外郭にあるレコーラウーニー

レコーラウーニー祈願
今帰仁ウーニー・本部ウーニーの舟形マウンドに、櫂(かい)に例えた1mくらいの竹を各ウーニーの縁へ3本ずつ添える。この櫂に例えた竹は、祈願後、杖の代わりとして持ち、平郎門、各御嶽で櫂を漕ぐ仕草をするために持ち続ける。海神祭の終了後には、火の神壇の横へ立て置くか、縁側の軒の上にしばらく置いておくと言われた。

祈願では、舟形の中腹に花米・供物や酒・五水をお供えして、今帰仁ウーニー・本部ウーニーと順に航海安全、無病息災、五穀豊穣、子孫繁栄の祈願を行い、今帰仁ノロ1人が竹杖を持ってグスクの平郎門へ向かう。平郎門の前に立ち、竹(櫂)を胸に添え、合掌してお祈りし、その竹を左廻り(時計の逆廻り)に地面に3回円を描くようにまわし、「ウークイ、ウークイ、ウークイ」を唱える。再びレコーラウーニーの方へと戻る。これで初日戌(いぬ)の日の行事は終わる。


参考・引用は「(続編)御嶽の構造とグスク」長浜眞詳(今帰仁グスクを学ぶ会 会員) 今帰仁グスク3号 より


フウリンブッソウゲとコルチカム

今帰仁グスクの植物は四季折々、お客様を楽しませてくれます。きょう目立ったのは、フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華)とコルチカムです。

フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑華)
フウリンブッソウゲ
ハイビスカスを和名で仏桑華と言いますが、その名の由来を探してみました。

中国でハイビスカスを「扶桑」という。日本に渡来したとき、華(花)を付けて「扶桑華」(フソウゲ)と呼んだ。これがなまり「仏桑華」になった。この花を仏前に供える習慣から、「仏」の字が当てられた。

とありました。墓地に植栽する習慣もあるらしいので「仏」はそのためなのでしょう。


一方、英名ではコーラル・ハイビスカスと言います。コーラルつまり珊瑚(さんご)の形と色に似ているというのです。国によってその印象はかなり違うものですね。


コルチカムはイヌサフランの園芸品種
コルチカムはイヌサフランを改良した園芸品種です。イヌサフランはサフランに似ていますが、まったく別のもので、有毒です。イヌと名のつく植物は、どうも印象がよくありません。コルチカムはきれいな花を咲かせますが、触らずに見るだけにしておきましょう。

チニブ(屋敷囲い)が完成しました

チニブ完成1
チニブ設置の最終仕上げ作業。左がやんばる竹、右側が割り竹で製作したもの。



2014年3月から製作を続けてきたチニブを今泊集落の屋敷に設置し、ついに完成。公民館で完成式がありました。

屋敷入り口に立てて目隠しとする、つい立てのことをヒンプンと称します。海のサンゴ石やブロックをセメントなどで固めたものです。チニブはヒンプンの代わりに、竹などで編んだ簡易なものを指します。

今回製作したチニブは、太い竹を割った割り竹と、細いやんばる竹の2種類。写真のように編んであります。


設置前の写真がないので設置後の比較ができませんが、設置前はトタンで囲ってありました。トタンは外観も悪く、せっかくのフクギ並木が生かされません。トタンをチニブに換えることで、景観がずっとよくなります。

今泊集落は、格子状集落として沖縄県内でも屈指の集落で、世界遺産に匹敵するとも言われます。その今泊の景観保全のお手伝いをしたのが、今回のチニブ製作と設置作業なのです。


今日の最終作業日には、一般から応募した村民の方や今帰仁村青年団の方など約10名が加わり、今帰仁グスクを学ぶ会のメンバーと共に作業をおこないました。

今泊公民館でおこなわれた完成式には、与那嶺村長をはじめ新城教育長、今泊区長も参加され、ご挨拶をいただきました。

チニブ完成2、フクギの苗を参加者が移植
一般参加者の方がフクギの苗を植えています。



IMG_8512-480.jpg
フクギ並木の景観がきれいになりました。




今泊集落の白浜(しるばま)と呼ばれる美しい海岸
海岸に出ると美しい海が広がります。白浜(しるばま)と呼ばれる海岸です。


深い渓谷をひかえる志慶真城郭を見下ろしたところ。

「沖縄にしかない本物の沖縄を訪ねる旅」バスツアーが毎日運行しています。『沖縄にしかないもの、沖縄らしいもの』に、観光地化していない今帰仁村(なきじんそん)で出会う旅です。

ツアーバスは那覇を出発、まず古宇利島へ。古宇利島は古くから沖縄版アダムとイブ伝説で知られ、珍しいジュゴンが棲む島でもあります。ゆっくり70分(平日90分)滞在します。

古宇利島の後、土日祝日は闘牛場で闘牛体験。牛の大きさと迫力にびっくり。60分。(平日は今帰仁酒造で泡盛の醸造を見学。30分)

今帰仁城跡のおひざ元である今泊集落は、今では映画のロケ地として何度も映画に登場。沖縄県内でもめずらしい格子状集落です。道が格子状に区画されていて計画的にムラ作りがおこなわれています。17世紀はじめまでは、今帰仁グスク直下にあり城下町として今帰仁グスクを支えてきました。散策をご案内するのは、「今帰仁グスクを学ぶ会」のガイドで地元出身の上間さんです。30分。

今泊の散策後は、2000年に世界遺産登録された今帰仁城跡へ。ここでも、上間さんの案内で見学します。琉球3大勢力のひとつ山北(さんほく)の中心だった今帰仁グスクは、北の都として栄えました。今では、御嶽(うたき)や拝所を参拝する人びとが絶えず、現代沖縄の人びとにとって精神的な都になっています。40分。

沖縄バスホームページ 詳細、ツアーのお申し込みは沖縄バスへ。画像クリックで沖縄バスホームページが開きます。


バスは9:30沖縄バス本社を出発。9:45那覇空港本ターミナル発。途中乗車は不可。
帰路は那覇空港LCCターミナル17:30着。那覇空港本ターミナル17:45着。沖縄バス本社18:00着。途中下車は可能です。

バスの運行は8月31日まで毎日。申し込みがおひとり様の場合でも運行します。
今帰仁グスクから伊是名・伊平屋島を望む。クリックで拡大。
伊平屋・伊是名島を望む(画像をクリックすると拡大します)



よく晴れたので、今帰仁グスクから伊是名(いぜな)島と伊平屋(いへや)島がはるかに望めました。この二つの島々の住所は島尻(しまじり)郡。沖縄本島南部の行政区域なのです。

今帰仁グスクは沖縄本島北部にありますから、住所は国頭(くにがみ)郡。すぐ目の前にあるこれらの島々は島尻郡??

この不思議な現象を伊是名村役場のホームページでは以下のように説明しています。
「明治時代の廃藩置県で沖縄県になったとき、伊是名役所は那覇役所に併合されたため、その後の郡編成で島尻郡に編入されたからである。」伊是名島のごあんない【島の魅力】より

もう少し歴史をさかのぼると、伊是名島は首里の王様尚円(しょうえん)の出身地。それで、首里王府が直轄した島なのです。そこから、南部行政の管轄すなわち島尻郡になったと言えます。

15世紀初め、尚円王の子孫たちが首里から今帰仁グスクへ派遣され、今帰仁グスクを治めたことはよく知られています(監守制度)。監守一族は日々、祖先尚円王の出身地である伊是名島をながめていたわけです。

伊是名島へは、今帰仁村内の運天港からフェリーが運航していますから、今帰仁とおなじみになった方は訪ねてみるとさらに沖縄ツウになることでしょう。


伊是名島の後に見える伊平屋島は、尚巴志(しょうはし)王の祖父の出身地とされています。尚巴志は第一尚氏、尚円は第二尚氏王統の始祖ですから、首里にとって重要な島々だったのです。


下の地図で伊平屋島の下の沖縄県の文字の部分が伊是名島

拝みをする人びとの姿を見かけたときは

そいつぎ
そいつぎ(城内下の御嶽)で拝む人たち



今帰仁グスクでは、拝みをする人びとが見られるようになりました。初夏の日差しは暑いですが、日曜日を選んで拝みに訪れるのです。

観光のお客様にとっては奇異に映る拝みの姿ですが、拝みの方にとってはグスク内の御嶽(うたき)で拝むことは、ごく普通のことなのです。彼らにとってグスクは聖地ですから、拝みが終わって帰るときに正門に向かって一礼する人たちもいます。

ガイドがお客様をご案内しているとき、拝みの人たちとかち合うことがあります。そんなときには、そっとその場を通り越して拝みの邪魔をしないようにします。お客様が拝みの姿に遭遇したときは、グスクが聖地であることを実感できるよい機会でもあります。

琉球を創った神々や火の神(かまどの神)などに対する信仰は、琉球の時代から現代沖縄に至るまで受け継がれています。これは、日本本土では見られない特徴です。

秋になると、門中(沖縄語でむんちゅう:男系親族の集まり)による今帰仁上り(なきじんぬぶい)という伝統行事が始まります。名前が示すとおり、今帰仁グスクを中心として、聖地巡礼をおこなう行事です。
大きな門中は100名を超えるところもあり、観光バスをチャーターして今帰仁グスクを訪れます。

聖地、聖域でのルールは、拝みの邪魔をしないことです。話しかけたり声高に話しながら通り過ぎてはいけません。

与論島が見えた一日

そいつぎの御嶽から東シナ海をみる
そいつぎの御嶽(うたき)から東シナ海を見たところ


今帰仁グスクの御内原(うーちばる)から、与論頭がしばらくぶりで見えました。こんなに近い島ですから、今帰仁グスクと関わりがありそうです。

調べてみると、15世紀初め、当時今帰仁グスクの城主だった山北王怕尼芝(はにし)の二男(王舅:おーしゃん)が、与論島に渡り世の主となり、与論グスクを築いた、という伝承があります。

その後、山北王は中山(尚氏、首里城)に滅ぼされるので、与論島も首里の管轄化に入ったと思われます。伝承によると、尚真王の次男尚朝栄が、世の主として与論島へ渡りグスクを築きました。

ということは、与論島のルーツは山北(今帰仁グスク)そして首里(琉球)にあると言えるかもしれません。


実際に、与論島の人々は以下のように、いくつかの系統に分かれているようです。

・三山の時代以前から島にいた人々(アマンチュ系)   
・北山の時代に島にやってきた一族(北山系)   
・三山統一後、首里王府から派遣された一族(中山系)   
・1611年以降、薩摩役人などの系統(薩摩系)   
・その他


これらの系統をみると、与論島は、やはり山北(今帰仁グスク)そして首里(琉球)に大きく関わっていると思えてきます。




(残念ながら、与論島はコンパクトカメラでは写りません。)
志慶真川(しげまがわ)を見下ろすながめ、城壁の内側は志慶真城郭写真左側が志慶真川の谷


梅雨明けした今帰仁グスクは、夏の太陽が照るものの、涼しい風も吹いています。グスクの東側を流れる志慶真川(しげまがわ)から、梅雨時の水が流れて水音が大きく聞こえます。

志慶真川の谷はおよそ30度の急勾配で、今帰仁グスクの天然の堀の役目をはたしています。

志慶真川はグスクの飲料水を供給しました。さらに下流域では水田も作られたので、主食に米を食べていたと考えられます。グスク内の炉跡から炭化米が発掘されています。

今帰仁グスクから出土した13世紀の製作とされる「グスク土器」は、農耕社会が安定してきた時期を示している製品とされています。

梅雨明け近い今帰仁グスク、大隅の城壁

梅雨あけも近い今帰仁グスク、大隅の城壁です。高さは最大8m、幅は最大4m、城壁の総延長は1.5km。
琉球のグスクの中でも、大型のグスクです。


撮影は普段より左側から撮っています。この角度から見ると、なかなか野趣に富んでいます。

中山(ちゅうざん)の軍勢が2000名とも言われますが、この城壁を2日間かかっても突破することが出来なかった、と首里王府編纂の書物に記しています。


(画像をクリックすると、大きいサイズで表示されます。)
リュウキュウコクタン(琉球黒檀)の花
リュウキュウコクタンの花



フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)
風にゆれるフウリンブッソウゲの花。まさに風鈴。



今帰仁グスクの大庭に、リュウキュウコクタン(琉球黒檀)とフウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)の花が咲いています。


リュウキュウコクタンは、三線の竿に使われる貴重な資源。
フウリンブッソウゲは、ハイビスカスの仲間。これから夏にむけて咲いていきます。



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