つながっていた外郭の城壁

つながっていた外郭の城壁
外郭の城壁。道路下には昔の道があり、門があったと思われる。


道路をはさんで、こちら側と向こう側の城壁は、昔はつながっていました。かなり両者は離れているので、何気なく歩くと気が付きません。

道路の発掘調査のとき見ていたら、昔の道路は現在のより、およそ1m下にありました。外郭の城壁と呼んでいるこの城壁は低い城壁に見えますが、1m下が道なら、昔は十分な高さがあったことになります。ですから、ちゃんと防御ができる城壁だったのです。

発掘調査のとき、門は発見されませんでしたが、おそらく近くに門があったと考えられます。



復元された外郭西側にはクバの御嶽がみえる
外郭西側の城壁は復元され、クバの御嶽が見える。手前は蘇鉄(ソテツ)。



この附近には、阿応理屋恵(アオリヤエ)ノロ、今帰仁ノロそして供のかねノロの3人のノロが住んでいました。ですから、今帰仁グスクにかかわる重要な人々が集中していたのです。

近くには、さらに、今帰仁(なきじん)ムラがあり、グスクを支える村人が住んでいたので、賑わいのある場所だったかもしれません。



少し変わった石敢當
男性が見ているのが、少し変わった石敢當(いしがんとう)です。人の形のようにも見えます。

この自然石の石敢當は、今泊集落の中にあります。桜の並木のある道路を、今帰仁グスクから下ると国道505号に出ます。そのまま直進すれば、今泊集落内に入り、この石敢當がすぐに見えます。集落内の道は狭いのでゆっくりと自動車を走らせてください。


石敢當は一般的には、表札を大きくしたような以下の写真のようなもので、塀などに埋め込んだり貼り付けたりして設置されます。

石敢當石敢當 / Nao Iizuka

石敢當とは魔よけで、中国から伝来しています。沖縄県がもっとも多く、次いで鹿児島県、非常に少数ながら東北や関東などにも確認されているということです。

魔よけの効果は
魔物(マジムンといわれる)は直進する性質があるので、交差点や三叉路の突き当たりにぶつかると家に入って来るというのです。石敢當にぶつかれば魔物は砕け散るので、交差点や三叉路に石敢當を設置すれば大丈夫というわけです。

お土産として、さまざまなデザインの小さな石敢當がありますから、縁起をかつぐ方は利用するとよいかもしれません。


石敢當のお土産


今泊集落は格子状集落とよばれ沖縄県内でもめずらしく、特徴のある集落です。かつては今帰仁グスク直下に位置していて、今帰仁グスクの城下町としての役割を果たしました。

ガイドと歩く今泊集落の散策コースの詳細は「今帰仁城跡と周辺史跡めぐり」のご紹介 へ。

座喜味グスク1

座喜味グスクは15世紀前期、中山軍の今帰仁グスク攻略に参加した有力な按司護佐丸によって築かれたとされます。
琉球国王の居城首里グスクから眺望できる丘陵上に建てられ、今帰仁グスク滅亡後にも西海岸一帯に残存した旧北山勢力を監視する役目を担っていました。(文化遺産オンライン



城壁は琉球石灰岩で隙間なく築かれ、細部に至るまで、ゆるやかなカーブを描いています。最上部の城壁に上ると、海および周囲が見渡せて、西海岸からの敵の侵入を防ぐために建造されたことがうなずけます。

全体は無駄なくまとまっていて、すぐれた設計であるのがうかがえます。今帰仁グスクは、大きく雄大な城壁が波打っているのに対し、座喜味グスクは、たおやかさを感じさせます。



座喜味グスク3
きちっと隙間なくアーチ状に、石が加工されています。軟らかい琉球石灰岩なので加工できるのですが、美しいアーチ状の設計は非常にすぐれています。沖縄に残る最古のアーチ門とされています。



座喜味グスク4
グスクの最上部に建物跡の礎石があります。


座喜味グスク5
城壁はゆるやかな曲線を描いています。



(今回の座喜味グスク訪問は、都合により短時間でした。この次はゆっくり周って詳細にご紹介したいと思います。)
講演会 沖縄”骨”語り

平成26年度 今帰仁グスクを学ぶ会の総会と講演会がおこなわれました。

講師: 土肥直美氏(名桜大学総合研究所客員研究員)
演題: 沖縄”骨”語り 出土人骨からどんなことが分かるか

沖縄人はどこから来たのか?は興味深い話題です。骨から多くのことが分かるのが驚きでした。詳しい内容は、後日まとめてお伝えする予定です。


講演会の後、26年度総会がおこなわれ、議案の承認、新役員の紹介と退任する前理事長に記念の花束贈呈がありました。

平成26年度 新役員の紹介

会長の退任式


全体の司会は事務局長、総会議長をはじめ、受付嬢や撮影班などの担当、たいへんお疲れ様でした。

受付嬢
撮影班

北殿跡のテッポウユリが満開

大庭のテッポウユリ
北殿跡のテッポウユリが満開です。在来のテッポウユリが石地の土壌から、たくましく延びています。
ここに北殿があったと伝えられ、土台の礎石も並んでいます。

また、今帰仁ノロがおこなった代表的なまつりごと「海神祭(うんじゃみ)」の始点でもあります。



大庭のテッポウユリ、北殿跡を望む
参道を上った大庭(うーみゃー)から北殿跡を望む。同じテッポウユリでも、在来種はたくましさを感じさせます。
中央の石碑は志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑。


テッポウユリが満開です

外郭城壁とテッポウユリ
今帰仁グスクの外郭に、テッポウユリが満開です。

普段なにげなく見ている城壁も、純白のユリの花に映えています。

城壁沿いの花は植栽したユリですが、そのほかのところは在来の自生種もあります。


大隅の城壁とテッポウユリ

大隅の城壁とテッポウユリ2


大庭(うーみゃー)に咲くテッポウユリ

テッポウユリ
今帰仁グスクで、テッポウユリが咲いています。純白の花が印象的。

テッポウユリは、面白いことに、交配種を植えるとやがて消えてしまいます。今咲いているのは、在来種です。


写真上は大庭(うーみゃー)の郭。琉球の時代から数年前まで、年中祭祀(宗教的儀式)がおこなわれた庭です。
写真右奥に見えるのは、志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑。その奥に香炉がひとつ置かれ、かつての儀式をわずかながら偲ぶことができます。

ウマノアシガタ、今帰仁グスクに咲く

ウマノアシガタ1

ウマノアシガタ2

ウマノアシガタ。
馬の足型?

馬の足の形には見えませんが、写真の花は、ウマノアシガタといいます。

何かの間違いから、このように呼ばれるようになったらしいです。
参考:今帰仁城跡周辺の自然「ウマノアシガタ

ピカピカ光っている花は、濡れているのではなく、こういう色つやなのです。
きれいな花ですが、キンポウゲ科の植物なので、有毒ですから注意が必要です。

今帰仁グスク周辺では、ほとんど見られないようで、貴重な植物になっています。

写真は、今帰仁グスク内に咲くウマノアシガタ。


40年前の今帰仁城跡入場券

40年前の今帰仁城跡入場券
写真は40年前の今帰仁城跡の入場券です。最近、今帰仁グスクを訪れたお客様が見せてくれたものです。


北山城跡と右上に印刷されており、写真は平郎門(正門)です。右端にチケット販売の小屋の屋根がわずかに見えます。
左側の言葉は志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の琉歌です。

大人Adalt(Adult が正解ですが)、小人Child の英語表記が沖縄らしいかもしれません。

入場料は50円、右下のスタンプは昭和48年です。
沖縄が日本に復帰?したのは昭和47年(1972年)です。パスポートがなければ入国できなかった時代から、沖縄が日本の一県になった記念すべき年です。

その復帰の翌年に、このチケットのお客様は入場したことになります。
このチケットを持って来られたお客様にとって、記念すべき入場券だったにちがいありません。40年も大切に保管していたのですから。


この記事の投稿者は、やはり昭和48年くらいに沖縄の地に下り立ちました。そのときは、今帰仁城跡は知らなかったので、首里城跡の龍潭池(りゅうたんいけ)を訪れました。
このチケットのお客様にお会いできたら、当時の沖縄のようすを語り合えるのですが、、。


昭和47年に今帰仁グスクは日本国の史跡に指定された
上の画像で、右側の碑は、昭和47年5月15日復帰の当日に、日本国の史跡に指定された記念碑。

ガイド有志がチニブを作っています

チニブ作り1
チニブとは、写真のようなもので、竹製です。実際に作ってみると、なかなか難しく、きれいに作るには熟練が必要です。
それでも、実用に耐えるものが完成しました。必要枚数に達するまで、作業はまだまだ続きます。

これらのチニブは今泊集落の2件の民家に設置されます。完成披露は7月20日(日)の予定です。
それまで、毎週水曜日に今泊公民館で製作がおこなわれます。


チニブ作り2
チニブ作り3

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