拝みをする人びとの姿を見かけたときは

そいつぎ
そいつぎ(城内下の御嶽)で拝む人たち



今帰仁グスクでは、拝みをする人びとが見られるようになりました。初夏の日差しは暑いですが、日曜日を選んで拝みに訪れるのです。

観光のお客様にとっては奇異に映る拝みの姿ですが、拝みの方にとってはグスク内の御嶽(うたき)で拝むことは、ごく普通のことなのです。彼らにとってグスクは聖地ですから、拝みが終わって帰るときに正門に向かって一礼する人たちもいます。

ガイドがお客様をご案内しているとき、拝みの人たちとかち合うことがあります。そんなときには、そっとその場を通り越して拝みの邪魔をしないようにします。お客様が拝みの姿に遭遇したときは、グスクが聖地であることを実感できるよい機会でもあります。

琉球を創った神々や火の神(かまどの神)などに対する信仰は、琉球の時代から現代沖縄に至るまで受け継がれています。これは、日本本土では見られない特徴です。

秋になると、門中(沖縄語でむんちゅう:男系親族の集まり)による今帰仁上り(なきじんぬぶい)という伝統行事が始まります。名前が示すとおり、今帰仁グスクを中心として、聖地巡礼をおこなう行事です。
大きな門中は100名を超えるところもあり、観光バスをチャーターして今帰仁グスクを訪れます。

聖地、聖域でのルールは、拝みの邪魔をしないことです。話しかけたり声高に話しながら通り過ぎてはいけません。

与論島が見えた一日

そいつぎの御嶽から東シナ海をみる
そいつぎの御嶽(うたき)から東シナ海を見たところ


今帰仁グスクの御内原(うーちばる)から、与論頭がしばらくぶりで見えました。こんなに近い島ですから、今帰仁グスクと関わりがありそうです。

調べてみると、15世紀初め、当時今帰仁グスクの城主だった山北王怕尼芝(はにし)の二男(王舅:おーしゃん)が、与論島に渡り世の主となり、与論グスクを築いた、という伝承があります。

その後、山北王は中山(尚氏、首里城)に滅ぼされるので、与論島も首里の管轄化に入ったと思われます。伝承によると、尚真王の次男尚朝栄が、世の主として与論島へ渡りグスクを築きました。

ということは、与論島のルーツは山北(今帰仁グスク)そして首里(琉球)にあると言えるかもしれません。


実際に、与論島の人々は以下のように、いくつかの系統に分かれているようです。

・三山の時代以前から島にいた人々(アマンチュ系)   
・北山の時代に島にやってきた一族(北山系)   
・三山統一後、首里王府から派遣された一族(中山系)   
・1611年以降、薩摩役人などの系統(薩摩系)   
・その他


これらの系統をみると、与論島は、やはり山北(今帰仁グスク)そして首里(琉球)に大きく関わっていると思えてきます。




(残念ながら、与論島はコンパクトカメラでは写りません。)
志慶真川(しげまがわ)を見下ろすながめ、城壁の内側は志慶真城郭写真左側が志慶真川の谷


梅雨明けした今帰仁グスクは、夏の太陽が照るものの、涼しい風も吹いています。グスクの東側を流れる志慶真川(しげまがわ)から、梅雨時の水が流れて水音が大きく聞こえます。

志慶真川の谷はおよそ30度の急勾配で、今帰仁グスクの天然の堀の役目をはたしています。

志慶真川はグスクの飲料水を供給しました。さらに下流域では水田も作られたので、主食に米を食べていたと考えられます。グスク内の炉跡から炭化米が発掘されています。

今帰仁グスクから出土した13世紀の製作とされる「グスク土器」は、農耕社会が安定してきた時期を示している製品とされています。

梅雨明け近い今帰仁グスク、大隅の城壁

梅雨あけも近い今帰仁グスク、大隅の城壁です。高さは最大8m、幅は最大4m、城壁の総延長は1.5km。
琉球のグスクの中でも、大型のグスクです。


撮影は普段より左側から撮っています。この角度から見ると、なかなか野趣に富んでいます。

中山(ちゅうざん)の軍勢が2000名とも言われますが、この城壁を2日間かかっても突破することが出来なかった、と首里王府編纂の書物に記しています。


(画像をクリックすると、大きいサイズで表示されます。)
リュウキュウコクタン(琉球黒檀)の花
リュウキュウコクタンの花



フウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)
風にゆれるフウリンブッソウゲの花。まさに風鈴。



今帰仁グスクの大庭に、リュウキュウコクタン(琉球黒檀)とフウリンブッソウゲ(風鈴仏桑花)の花が咲いています。


リュウキュウコクタンは、三線の竿に使われる貴重な資源。
フウリンブッソウゲは、ハイビスカスの仲間。これから夏にむけて咲いていきます。



つながっていた外郭の城壁

つながっていた外郭の城壁
外郭の城壁。道路下には昔の道があり、門があったと思われる。


道路をはさんで、こちら側と向こう側の城壁は、昔はつながっていました。かなり両者は離れているので、何気なく歩くと気が付きません。

道路の発掘調査のとき見ていたら、昔の道路は現在のより、およそ1m下にありました。外郭の城壁と呼んでいるこの城壁は低い城壁に見えますが、1m下が道なら、昔は十分な高さがあったことになります。ですから、ちゃんと防御ができる城壁だったのです。

発掘調査のとき、門は発見されませんでしたが、おそらく近くに門があったと考えられます。



復元された外郭西側にはクバの御嶽がみえる
外郭西側の城壁は復元され、クバの御嶽が見える。手前は蘇鉄(ソテツ)。



この附近には、阿応理屋恵(アオリヤエ)ノロ、今帰仁ノロそして供のかねノロの3人のノロが住んでいました。ですから、今帰仁グスクにかかわる重要な人々が集中していたのです。

近くには、さらに、今帰仁(なきじん)ムラがあり、グスクを支える村人が住んでいたので、賑わいのある場所だったかもしれません。



少し変わった石敢當
男性が見ているのが、少し変わった石敢當(いしがんとう)です。人の形のようにも見えます。

この自然石の石敢當は、今泊集落の中にあります。桜の並木のある道路を、今帰仁グスクから下ると国道505号に出ます。そのまま直進すれば、今泊集落内に入り、この石敢當がすぐに見えます。集落内の道は狭いのでゆっくりと自動車を走らせてください。


石敢當は一般的には、表札を大きくしたような以下の写真のようなもので、塀などに埋め込んだり貼り付けたりして設置されます。

石敢當石敢當 / Nao Iizuka

石敢當とは魔よけで、中国から伝来しています。沖縄県がもっとも多く、次いで鹿児島県、非常に少数ながら東北や関東などにも確認されているということです。

魔よけの効果は
魔物(マジムンといわれる)は直進する性質があるので、交差点や三叉路の突き当たりにぶつかると家に入って来るというのです。石敢當にぶつかれば魔物は砕け散るので、交差点や三叉路に石敢當を設置すれば大丈夫というわけです。

お土産として、さまざまなデザインの小さな石敢當がありますから、縁起をかつぐ方は利用するとよいかもしれません。


石敢當のお土産


今泊集落は格子状集落とよばれ沖縄県内でもめずらしく、特徴のある集落です。かつては今帰仁グスク直下に位置していて、今帰仁グスクの城下町としての役割を果たしました。

ガイドと歩く今泊集落の散策コースの詳細は「今帰仁城跡と周辺史跡めぐり」のご紹介 へ。

座喜味グスク1

座喜味グスクは15世紀前期、中山軍の今帰仁グスク攻略に参加した有力な按司護佐丸によって築かれたとされます。
琉球国王の居城首里グスクから眺望できる丘陵上に建てられ、今帰仁グスク滅亡後にも西海岸一帯に残存した旧北山勢力を監視する役目を担っていました。(文化遺産オンライン



城壁は琉球石灰岩で隙間なく築かれ、細部に至るまで、ゆるやかなカーブを描いています。最上部の城壁に上ると、海および周囲が見渡せて、西海岸からの敵の侵入を防ぐために建造されたことがうなずけます。

全体は無駄なくまとまっていて、すぐれた設計であるのがうかがえます。今帰仁グスクは、大きく雄大な城壁が波打っているのに対し、座喜味グスクは、たおやかさを感じさせます。



座喜味グスク3
きちっと隙間なくアーチ状に、石が加工されています。軟らかい琉球石灰岩なので加工できるのですが、美しいアーチ状の設計は非常にすぐれています。沖縄に残る最古のアーチ門とされています。



座喜味グスク4
グスクの最上部に建物跡の礎石があります。


座喜味グスク5
城壁はゆるやかな曲線を描いています。



(今回の座喜味グスク訪問は、都合により短時間でした。この次はゆっくり周って詳細にご紹介したいと思います。)
講演会 沖縄”骨”語り

平成26年度 今帰仁グスクを学ぶ会の総会と講演会がおこなわれました。

講師: 土肥直美氏(名桜大学総合研究所客員研究員)
演題: 沖縄”骨”語り 出土人骨からどんなことが分かるか

沖縄人はどこから来たのか?は興味深い話題です。骨から多くのことが分かるのが驚きでした。詳しい内容は、後日まとめてお伝えする予定です。


講演会の後、26年度総会がおこなわれ、議案の承認、新役員の紹介と退任する前理事長に記念の花束贈呈がありました。

平成26年度 新役員の紹介

会長の退任式


全体の司会は事務局長、総会議長をはじめ、受付嬢や撮影班などの担当、たいへんお疲れ様でした。

受付嬢
撮影班

北殿跡のテッポウユリが満開

大庭のテッポウユリ
北殿跡のテッポウユリが満開です。在来のテッポウユリが石地の土壌から、たくましく延びています。
ここに北殿があったと伝えられ、土台の礎石も並んでいます。

また、今帰仁ノロがおこなった代表的なまつりごと「海神祭(うんじゃみ)」の始点でもあります。



大庭のテッポウユリ、北殿跡を望む
参道を上った大庭(うーみゃー)から北殿跡を望む。同じテッポウユリでも、在来種はたくましさを感じさせます。
中央の石碑は志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑。


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