日本の城の城壁とは明らかに違います。今帰仁城の曲線を描く石積みは中国や朝鮮、韓国の築城様式に近いと言われています。

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今帰仁城の石は硬くて重い石です。アンモナイトの化石が入っていることがあるので、太古の昔にできた石で、古生代石灰岩または古期石灰岩と呼ばれます。

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石積みの城壁全体が城です。日本の城郭とは異なり、要塞のような造りで、天守閣はありません。

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今帰仁城の石垣は、14世紀前半に積み始めたことが、発掘調査でわかっています。

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今帰仁城の城壁の各部の名称については、報告事例などで以下のように呼ばれています。

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グスクは琉球時代の城といえます。世界遺産に登録されているグスクを見ると城壁で囲まれた要塞のようです。

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去った沖縄戦の被害は、今帰仁城にはありませんでした。幸いにして、貴重な文化遺産が良好な状態で保存されてきたのです。

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今帰仁は「なきじん」と読みます。なきじんと呼ばれるまでには、いくつかの変遷がありました。

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歴史上、誰が築き始めたかは、わかっていませんが、築城を始めたのは、地域の在地領主です。

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今帰仁城の城主は大きく2つに分けられます。初めは山北王(さんほくおう)、次に今帰仁監守(なきじんかんしゅ)です。

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今帰仁城に住んだ王は山北王(さんほくおう)で、文献に登場するのは、1314年です。しかし、これ以前から、住んでいたと考えられます。

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住んでいた人と住んでいた場所によって、次の表のようになります。

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残念ながら、具体的な資料がないため、不明です。以下は想像の範囲ですが、、、

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今帰仁城には、およそ10の郭(かく、くるわ)があります。それぞれの郭には役割があります。次の表をご覧ください。

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今帰仁城内に井戸はありません。

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ガイドがご案内するときに、今帰仁城で使う水は、水揚げ場から水を汲み上げていた、と説明することがあります。

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発掘調査から、以下のものを食べていたと考えられます。志慶真門郭の発掘調査報告書より。

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ノロは神職です。神拝みの行事の際、祈願をします。琉球の時代に起こり、現在でも地域によっては存続しています。今帰仁ノロは80歳を超えていますが健在です。

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今帰仁城内の火の神は主郭にあります。1742年に作られた今帰仁旧城図に記載されているので、遅くとも、その頃にはあったことがわかります。

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御嶽は拝み山の聖地の総称です。集落にはおおよそ1つ以上の御嶽があります。村を愛護する祖霊神、守護神などが天下る聖地です。

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拝んでいる姿は見慣れない方にとっては、何だろう思うかもしれませんね。今帰仁城は城として機能していたときから、城内に御嶽(うたき)や拝所がありました。

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2010年10月現在、発掘している場所は外郭の西側です。外郭東側は発掘が終わり、続いて西側に移っています。

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今帰仁城内、大庭(うーみゃー)に歌碑が建てられています。これは志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑です。伝説として以下の話が伝わっています。

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セミの鳴き声です。オオシマゼミというセミです。沖縄本島では北部と中部で鳴き声が聞かれ、南部にはいません。

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