水揚げ場の水はどのように汲み上げていたのですか?

ガイドがご案内するときに、今帰仁城で使う水は、水揚げ場から水を汲み上げていた、と説明することがあります。


今帰仁村の作成したパンフレットには、「伝水揚げ場」と書かれていて、水揚げ場と伝えられているという風にとれます。

水揚げ場という名称は、今帰仁村の保存調査委員会などの調査によって発見され、名づけられています。従って、実際に水を汲み上げた場所かどうかは、検証の余地があると今帰仁村教育委員会文化財係では考えています。

では、今帰仁城内の水は、どのように確保されたのでしょうか?城内には井戸がありませんので、以下の4つが考えられます。

  1. 親川(えーがー)からハンタ道という登城道を登って水を運搬した。
  2. 志慶真川から志慶真ムラを登って水を運搬した。
  3. 雨水を溜めて利用した。
  4. かつては城内のカーザフなどで水が湧いたので、それを利用した。

 

親川(えーがー)とは、湧き水で、琉球時代の登城道を約700m下っていくとあります。今でも、枯れることなく湧き出しています。

カーザフとは、水のある谷を意味するので、その名から、かつては水が湧いたと考えることができます。平郎門とよばれる正門を入り、右側の石段を登ると、カーザフを見ることができます。

主郭に井戸のように見える石の囲みがありますが、井戸かどうかは不明です。