今帰仁城の城主は誰ですか?

今帰仁城の城主は大きく2つに分けられます。初めは山北王(さんほくおう)、次に今帰仁監守(なきじんかんしゅ)です。


山北王は、怕尼芝(はにじ)、珉(みん)、攀安知(はんあんち)の3代で、1383年から1416年まで。

今帰仁監守は、中山の尚巴志(しょうはし)の次男尚忠(しょうちゅう)が1422年から1440年まで。

その後、尚真王(しょうしんおう)の三男尚韶威(しょうしょうい)が1490年から今帰仁監守となり、代々世襲して、監守の時代は1665年まで続きました。

怕尼芝(はにじ)の1383年から最後の監守の1665年までは、約230年。長い期間にわたり城(グスク)が機能していて、城主が支配していたことがうかがえます。

今帰仁監守と は、今帰仁城を、首里が管理するために派遣した役職で、今帰仁王子とも呼ばれました。今帰仁城跡の主郭に建てられている「山北今帰仁城監守来歴碑記」には 監守派遣の理由として、今帰仁城が首里から遠く、地が険阻で、人も勇猛なので、首里に反乱を起こす恐れがある、と記されています。