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美しい洞窟

皆さん、この写真はどこの風景だと思いますか。答えは、洞窟(どうくつ)内部の風景で、沖縄本島の東側に位置する南大東島の星野洞です。南大東島は、周囲を深い海に囲まれた島で、小笠原島と同じ海洋島です。サンゴ礁が隆起して出来た島なので、島の地盤(地質)はほぼ全てが石灰岩です。あちらこちらに石灰岩が見られ、島の北側には石灰岩が天空高くそびえたバリバリ岩(写真後半)があります。ここの地盤はフィリピン海プレートにのっているため、ゆっくりと移動しているらしく、地殻変動でこのように裂けたという。裂けたところに、島の象徴の樹木であるダイトウビロウが1本生えています。石灰岩が風化して、地表に僅かに土が出来、地上にはサトウキビ畑が広大に広がっています。それとは対照的に、地下には写真のような美しく規模の大きな洞窟が多く形成されます。つまり石灰岩の地質の下には、洞窟が多く作り出されます。南大東島の星野洞は、観光洞窟となっています。今帰仁村を含む本部半島にも、規模はさまざまですが洞窟があります。上からつららやカーテンのように垂れ下がっているのは鍾乳石ですが、なかには1m以上もあるのが観察されます。1説には1cmのびるのに、約50年を要すると言われており、1mのびるには約5000年もかかることになります。南大東島の星野洞ははるか大昔から有ることが分かります。地上の自然もおもしろいですが、地下空間も多様であり、自然は神秘です。皆さんも、是非とも、機会が有れば、星野洞見学、お勧めです。

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マンガンノジュール

これは、なんだと思いますか。赤土の畑の上で確認しました。直径が数mmから1cm前後です。ウサギやヤギの糞ではありません。豆チョコでもありません。触ると、かなり硬く、割ることはできません。答えは、マンガン団塊(マンガンノジュール)です。つまり、鉱物の一種です。成分は海水中から沈澱して生じた球状のかたまりで、主にマンガンや鉄を成分とし、それ以外にも銅やニッケルなども含んでいます。海の底にある鉱物なのです。それが地上の赤土(琉球石灰岩の風化した土壌)の畑の上などで、まとまって見られる場所があります。何とも不思議な光景ですが、この場所が昔は海の中だったことを表す鉱物の一つです。今帰仁村内ではあちらこちらで見られる鉱物のようです。はるか昔はそこが海だったことを証明する鉱物(岩石)ともいえるでしょう。最近は、陶芸の原材料としても使われるらしく、皆が拾って沖縄本島中部では少なくなっているらしいです。

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琉球石灰岩

今帰仁城跡周辺の森の中を歩いていると、写真のような、ところどころに穴の開いた岩が見られます。この岩は琉球石灰岩で、琉球列島に分布する石灰岩の地層です。更新世(新生代第四紀)にサンゴ礁のはたらきで形成された地層の一つです。サンゴ礁は浅い海で形成されるため、琉球石灰岩地層が存在する場所は形成時に海水面付近であったことを示しており、琉球列島で起きた地殻変動の影響を知るための指標の一つになっています。2枚目の写真は、ミームングスク(石積み遺構;出城説がある)という標高が64m付近の遺構の基盤となっている岩を撮影したものですが、そこにも琉球石灰岩があります。ミームングスク自体は、穴の開いていない今帰仁石灰岩(城壁に用いている古い岩)を主に利用して作られています。かなり高い場所にも琉球石灰岩が確認され、今では想像できませんが、大昔は海の中もしくは海水面付近であり、何らかの大きな力が働いて、現在の位置にまで隆起した、ということになります。森のあちらこちらにある岩石を観察すると、当時の環境を想像することができるかもしれません。DSC_3293.jpg DSC_3350.jpg

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大潮

大潮は、呼んで字の如く、潮の干満の差が大きい状態のことですが、今帰仁城跡を城跡前の道から今泊方面へと降りていくと、写真のような光景が目に飛び込んできました。森の中、森の上に海がある、そんな風景です。その海も、少し遠くてはっきりとは見えませんが、よく見ると、茶色の横筋があるのが分かると思います。これは陸地(サンゴ礁域)なのです。つまり、これは海といっても、大潮ですごく引いている海なのです。写真は4月20日に撮影しましたが、沖縄は浜降りの時期でもあり、皆がこぞって海に魚貝類を捕りに出かけます。上手な人は、サザエやタコなども捕ってきます。森の木々は今まで多くの変遷を経てきたと思いますが、このような風景は昔と変わっていないと思います。森の中に浮かぶ海の光景、これはひょっとしたら今帰仁でしか味わえないことなのかもしれません。次に大きく潮が引くのは、5月18日です。

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大井川右岸の昔道

大井川は、本部町の伊豆味に源流を発し、今帰仁城跡から約5km離れた名護市側の今帰仁村呉我山を通って、海へと下っている河川で、今帰仁村内では数少ない河川の一つです。この大井川沿いに、今帰仁城跡よりも古い時期に築かれたシイナグスクがあり、小高い山の上に古い石灰岩地形(塊状石灰岩)を利用した野面積みの石積み遺構が現状のまま残されています。大井川とシイナグスクとの関係は、志慶真川と今帰仁城跡との関係に似ており、シイナグスクの大井川側は断崖絶壁となっています。この河川も、降雨が少ない時期には水が無くなる水無川として有名です。今の時期にはほとんど完全に河川の水は干上がっています。少し川沿いを散策してみましたが、所々に上のシイナグスクから落下したと思われる塊状石灰岩の大岩が転がっていました。その景観は、今帰仁城跡横を流れる志慶真川にそっくりです。今帰仁村歴史文化センターの仲原館長のお話によると、この大井川沿い(右岸)には名護(中山)の三つ堤(土手)をつなぐ宿道(スクミチ)があり、その痕跡と見られる道跡があります。なぜ三つ堤(土手)というのかは、名護方面、本部方面、今帰仁方面の3方面からの伝達文書や荷物をこの場所で目的方面へ分配していたらしい。大昔(大正6年より以前)、シイナグスク側の崖沿いに宿道があって、シイナグスクの入口方面のマッチャク橋を通って、人々が普通に利用していたらしいです。川から一段上の場所が、よく見ると確かに道らしく見えます。しかし、今は完全に木々に覆われて、森と化しています。それから、向かって左側の上の方にガードレール付きの道が大正6年に造られ、そこも現在は旧道(廃道;呉我山トンネル手前にジュンサ石がある)となり、今はより便利な名護と今帰仁とを結ぶ道路となっています。これらの道の関係も、今帰仁城跡周辺のハンタ道(宿道)・馬車道(大正時代)・県道(現在)との関係に非常によく似ています。時代の変遷と共に、人々が利用してきた道も、利便性を求めていった結果、遺構として森の一部になっているのが、非常にわかりやすい場所だと思いました。

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