植物 らの最近のブログ記事

ルリハコベ

日当たりの良い場所に生えているのがよく見られます。名前は、「ルリハコベ」といい、こちらもサクラソウ科の植物です。花は、鮮やかな瑠璃(るり)色をしており、直径は1cm。この花が、密生して多く咲いている光景は、まさに小さなお花畑です。道端に人知れず咲いている植物も、園芸植物とは違った趣があります。今、今帰仁城跡周辺で咲いています。

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リュウキュウコザクラ「琉球小桜」

沖縄は、サクラが既に葉桜となっていますが、サクラという名前がついている植物が他にもあるのをご存じでしょうか。サクラといっても、サクラソウの仲間です。サクラソウというと、ピンク色の花を咲かせる「ニホンサクラソウ」が有名で、埼玉県浦和市では名所になっており、また栃木県北部地方では今でも湿地帯などに自生しています。本土では湿地環境の減少や盗掘などによって激減しています。沖縄で見られるサクラソウの仲間は「リュウキュウコザクラ」といい、日当たりの良い道端や野原に生えます。花は白色で、直径5mmほどと大変小さい。葉は、タンポポのように「ロゼット葉」で、5-10cmの花茎がのびます。今帰仁城跡周辺でも、あまり多くは見られませんが、自生しています。可愛い花ですね。

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台風7号で倒壊した仲原馬場の琉球松

先日(8月31日から9月1日)、沖縄本島を直撃した台風7号の影響により、今帰仁村仲原馬場にある琉球松の大木(樹高約10m)が、地上2m位の高さから折れて倒壊しました。仲原馬場は国道505号沿いにある幅約30m,長さ約250mの長方形の馬場です。馬場の両側には18世紀の政治家蔡温(さいおん)が植林を進めたと伝わる琉球松の巨木が立ち並んでいます。そのうちの1本が無惨にも折れてしまったのであります。折れた木の一部は、年輪などを調査する必要から、今後は輪切りにして標本として保存する予定です。琉球松は、今帰仁村の村木にもなっており、各地に生えている琉球松は大切にされ、国道を走行していても見事に伸びた大木を目にすることが出来ます。仲原馬場の琉球松並木は、「過去において人工的に植栽されたことが明らかな森林であっても、長期にわたって伐採等の手が入っていないもの。」ということで、特定植物群落として選定されています。

ここで、なぜ馬場という地名なのか。それは、沖縄には昔から各地に馬場があり、農村における民俗行事や畜産奨励のための競馬などに利用されていたことから、呼ばれています。県内各地にあったとされる馬場も、去る沖縄戦で破壊されたり、耕地や宅地になったりして元の形を失っており、今帰仁村の仲原馬場だけが往時の面影を残しています。見事にまっすぐ大きく生長していた琉球松も、台風の風(最大瞬間風速40m以上)には負けてしまった。

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平郎門の琉球松

今帰仁城跡の玄関(平郎門)前に、大きな琉球松(リュウキュウマツ)があります。胸高直径は60cm。屋我地中学校の生徒が遠足で今帰仁城跡を訪れた時のスナップ写真(昭和32年5月に撮影)の中で、鳥居と松の大木、コイノボリと「北山城跡」と記された標柱が写っています。昭和53年に国指定史跡保存管理計画策定の中で、植生調査が実施され、写真に写っているリュウキュウマツは最も古く、樹齢が150年と推定されていましたので、現時点での推定樹齢は182年ということになります。つまり、日本の年号では、文政・天保の時代から、今帰仁城跡に生えていたことになります。物は語りませんが、静かに見続けてきたリュウキュウマツ。今後も、樹勢を弱らせることなく、平郎門前で、道行くお客様を見続けて欲しい。 

●参考文献 なきじん研究vol.11(2002今帰仁村歴史文化センター) 

      国指定史跡保存管理計画書今帰仁城跡(昭和53年)

 

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