「今帰仁城跡と周辺史跡めぐり」のご紹介
今帰仁グスクを学ぶ会のガイドがご案内する、今帰仁城跡と周辺史跡めぐり (ガイド料金が必要)を リーフレットでご紹介します。(拡大画像も見ることが出来ます)
拡大画像を見るにはこちらから。(886.6KB)
拡大画像を見るにはこちらから。(886.6KB)
画像をクリックすると拡大画像が別ウィンドウで開きます。(580KB) A4用紙に印刷するときは、印刷プレビュー画面で縮小50%から60%(余白の調整)をします。
*以下はコースのご案内です*
◎Aコース
◎Bコース
◎Cコース
大きな地図で見る



*以下はコースのご案内です*
◎Aコース
ハンタ道と周辺遺跡
ハンタ道は、琉球時代に今帰仁グスクへ上る登城道でした。現在も、ほぼそのままの形をとどめていますから、昔さながらの登城を体験できます。
ハンタ道の始点のエーガー(親川)は涸れることのない湧水で、昔から地元の人々に親しまれてきました。エーガーからハンタ道を700m歩くと、今帰仁グスクへ到達します。
途中には種類の違う石灰岩や、天然の石畳があったりと、ちょっとしたトレッキングコースになっています。
ハンタ道周辺には、祭祀施設が14世紀から15世紀当時のまま、森の中にひっそりと保存されていて、集落跡もあり、当時の人々のまつりごとや生活をしのぶことが出来ます。
◎Bコース
今泊集落の散策
より深い歴史を訪ねるコースです。今帰仁グスクに最も関わりの深い、今泊集落を散策します。
今泊は今帰仁ムラと親泊ムラが合併して今泊になったのですが、合併前の両ムラとも、元々は今帰仁グスク直下にありました。
なぜ、海沿いに移転したかと言えば、薩摩軍による琉球侵攻の結果です。
歴史に翻弄されながらも、移転先の集落は、格子状の道を持つ格子状集落が出来上がるという、沖縄でも珍しい集落形態をとっています。
わずかにずらした道の交差点には、石敢當が置かれ、風水思想に基づくムラづくりが見られます。
集落内には今帰仁ノロ殿内(どぅんち)と呼ばれるノロの屋敷や、屋敷を囲むフクギ並木のある、伝統的集落のたたずまいになっています。
◎Cコース
運天集落と古墓 (今帰仁村内遺跡めぐり)
一番地味に思えるコースですが、運天港の歴史と古墓群を訪ねるマニアックなコース。
運天港は、沖縄北部、やんばるの重要な港で、天然の良港として琉球の時代から船の出入りが盛んでした。
薩摩郡の侵攻の際は3000人近い軍勢が上陸。江戸幕府に開国を迫るペリーが、まず琉球に立ち寄ったのも運天港でした。第2次大戦時には、日本軍の魚雷艇の基地となるなど、重要な歴史の事実を眺めてきた港です。
海上交通の便利さから、首里王家に関わる人々の古墓があり、近年までは今帰仁村の役場が置かれていました。
一方では、源為朝の上陸碑が建てられるなど、かつての日琉同祖論の一端を垣間見ることができます。
ガイド料金:上記3コースいずれもガイド料金が必要です。ガイド料金には保険料を含みます。詳細はお気軽にお問い合わせください。
2時間の場合 1000円×人数(3名以上15人まで)
3時間を超える場合 2000円×人数(3名以上15人まで)
3時間を超える場合 2000円×人数(3名以上15人まで)
ツアーの予約は、電話、FAX、メール、このページ下のガイド予約のお問い合わせフォームからも出来ます。
<希望日・希望コース、氏名、住所、電話、参加人数>をお申し込みください。
TEL/FAX:0980(56)4406
メール:manabukai@nakijingusuku.com
大きな地図で見る
ガイド予約のお問い合わせフォーム